一部の史料では966年に王として認められたとする記述もあるが、一般には、967年にダブの死後に即位して971年に没するまで在位したとされるのがキュレン(クイレン)である。10世紀に生まれ、971年に没したと伝えられる。父はインドルフ(An Ionsaighthigh)で、母は史料上不明である。キュレンは在位中にストラスクライド(Strathclyde)の支配を巡る関与や、北方・西方の諸勢力との衝突に直面していた可能性が指摘されているが、当時の史料は断片的で確定的な記述が少ない。

治世の背景

キュレンが生きた10世紀のスコットランドは、アルピン朝をめぐる王位継承の争いと、ノース人(ヴァイキング)やストラスクライド(ブリトン系)との勢力抗争が続いていた時代である。史料は限られているため、彼の統治の詳細や政策については明らかでないが、同時代の王たちと同様に領土の維持と王権の安定化が主な課題だったと考えられる。ある史家は、キュレンが在位中にストラスクライドを巡る影響力を行使した可能性を示唆しているが、確証は乏しい。

没年と継承

971年にキュレンは没したと記録されているが、死因や埋葬地は不詳である。没後の王位については史料に相違があり、同年にケネス2世(Kenneth II)と、アイルランド系年代記に名を見せるアムライブ(Amlaíb)の名が後継者として記される場合がある。これは同時期に複数の有力者が王位を主張した可能性や、地域ごとに支配者が分かれていたことを示唆している。キュレンの子としては後に王位に関係する人物が伝えられており、史料はその系譜を断片的に伝えているにとどまる。

評価と史料

キュレンについて伝わる記述は限定的で、主要な情報源はアイルランドの年代記類や後世の編年史である。これらの史料は時に矛盾や省略を含むため、個々の出来事や関係を確定するのは難しい。現代の研究では、キュレンを当時の王位争いの一端に位置づけ、インドルフの子としての血筋や地域的対立の文脈から理解しようとする見方が一般的である。

史料の断片性と年代記の相違を踏まえ、キュレンの治世の細部については今後の史料再検討や考古学的発見により解明が進む可能性がある。

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後継者の一人とされるケネス2世(肖像は後代の図像)

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アルスター年鑑などに名が見えるアムライブ(Amlaíb)の名

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父インドルフ(An Ionsaighthigh)

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伝承上の息子とされるコンスタンティン(後の系譜に名を残す人物)