ダリットとは、主に南アジアのヒンドゥー社会で歴史的に最下層に位置づけられ、社会的・経済的に排除や差別を受けてきた人々を指す総称です。語源としてはサンスクリット語や現代インド諸語の「dal」(割れる、砕ける)に由来するとされ、「押しつぶされた人々」「抑圧された人々」を意味する用語として定着しました。英語の旧称は「Untouchables(不可触民)」で、現在では差別的表現として避けられ、法的・公的文脈では主に「Scheduled Castes(登録カースト/スケジュール・カースト)」が用いられます。

語史と初期の整理

イギリス植民地時代には、被抑圧階級を指すさまざまな分類("Depressed Classes" など)がなされ、1930年代の政治過程の中でこの集団の代表性を巡る論争が起こりました。1932年にはイギリス首相のラムジー・マクドナルドによる「共同体賞(Communal Award)」が発表され、被抑圧階級に対する別個選挙区(separate electorates)が認められました。これをめぐり、B.R.アンベドカール(1891–1956)は被抑圧階級の代表確保を支持しましたが、マハトマ・ガンジーが強く反対したため、同年に両者の合意として知られるプーナ条約(Poona Pact)が成立し、別個選挙区は撤回される一方で、議席の予約(reservations)が導入されることになりました。

アンベドカールと近代運動

経済学者であり法学者でもあったB.R.アンベドカールは、被抑圧階級の政治的・社会的権利拡大を長年にわたり主張した中心的人物です。彼は近代的な政治組織を通じて運動を展開し、1936年には労働者・被抑圧民の代表を目指す政党(Independent Labour Partyなど)にも関わりました。独立後のインド憲法草案に深く関与し、憲法は不可触民制度(untouchability)の廃止(第17条)と、行政・教育・公職における登録カースト(Scheduled Castes)向けの予約制度を規定しました。1956年にはアンベドカール自身が多くの支持者と共に仏教に改宗し(ナヴァヤーナ仏教の運動)、カースト差別からの精神的・社会的解放を図る象徴的行為となりました。

用語の再活性化と政治運動

1970年代には、マハラシュトラ州を中心に結成されたダリット・パンサーズ(Dalit Panthers)などの運動により、「ダリット」という自称が政治的・文化的アイデンティティとして再び広まりました。ダリット文学(Dalit literature)や詩、演劇、映画などの文化表現が増え、差別の実体験を告発し自己肯定を促す力となりました。政治面では、カンシーラム(Kanshi Ram)やメーヤワティ(Mayawati)らによる政党(例:BSP=バハジャーン・サマージ党)を通じ、ダリット層の政治的動員が進み、選挙や政策に大きな影響を及ぼすようになりました。

法的枠組みと現代の政策

  • インド憲法は不可触民制度を禁止し、登録カースト(Scheduled Castes)に対する差別は禁止されています。
  • 教育や公職、議会の議席に対する予約制度が存在し、歴史的に不利な立場にある人々の参画を図っています。
  • 1989年には、カーストに基づく暴力や迫害を防ぐためのSC/ST(Scheduled Castes/Scheduled Tribes)差別禁止法(Prevention of Atrocities Act)が制定され、後に改正や強化が行われています。

現状と課題

法制度や政策による保護は進んだものの、現実には次のような課題が残っています。

  • 社会的差別・偏見や日常的な排除(居住・水場の利用制限など)が地域によって続いている。
  • 暴力事件や差別的扱いが報告されることがあり、被害救済や司法対応の遅れが問題となる場合がある。
  • 経済的な貧困、土地の欠如、低い教育水準や雇用機会の不足など構造的な不利が残る。
  • 都市化や経済発展の中で改善が見られる一方、既得権益との摩擦や階層間の対立が政治的緊張を生むことがある。

地域的・国際的な広がり

「ダリット」と呼ばれるアイデンティティは主にインドで使われますが、似たような被差別集団はネパール、スリランカ、パキスタン、バングラデシュなど南アジア各地にも存在します。本文で挙げられているように、南アジアの国々(インドネパールスリランカパキスタンバングラデシュ)や、歴史的に南アジアの移民を受け入れてきた東アフリカの一部地域(たとえば一部のコミュニティがいるソマリアなど)にも、類似の社会的排除問題が見られます。国ごとに呼称や法的地位は異なりますが、共通するのは「身分や出自に基づく不平等と差別」が存在する点です。

文化・思想的貢献と現在の運動

ダリット運動は単に権利回復を訴えるだけでなく、文学・芸術・宗教改革・教育普及など多方面で活動を展開しています。ダリット作家や詩人、活動家たちは自己表現を通じて差別の実態を可視化し、社会意識の変革を促しています。現代ではインターネットやソーシャルメディアを活用した運動も活発で、国際的な支援や連帯も進んでいます。

まとめ

「ダリット」は、歴史的に差別と排除を受けてきた人々の自称であり、アンベドカールらの闘争、独立後の法制度、1970年代以降の文化的・政治的再編を経て現代に至ります。法的保護や政治的代表性は向上している一方で、実生活での差別や構造的不平等は依然として解消されておらず、教育・経済・司法制度の改善や社会的意識の変化が引き続き重要です。現代のダリット運動は、被差別当事者の自己決定と人間としての尊厳回復を中心に据え、地域・国際レベルでの連携を深めながら進展しています。

参考:カースト制度に関する一般的な用語や法制度についてはカーストの概説も参照してください。