ハノーファー王エルンスト・アウグスト(1771年–1851年)
カンバーランド公となったイギリス王子。1837年にハノーファー王となり、君主大権を重視する統治を行って、イギリスとの同君連合の終結に至った。
エルンスト・アウグスト(1771年6月5日 – 1851年11月18日)は、イギリス王子であり、国王ジョージ3世の五男であった。年少の王子としてイギリスで高い王族の地位を有し、カンバーランド公に叙された。1837年6月28日、兄の死去によりハノーファー王位を継承し、当時の記録ではしばしばハノーファー王と呼ばれている。
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10 画像生い立ちと即位
ハノーファー家に生まれたエルンストは、イギリスとハノーファーの王位が一人の君主のもとで1世紀以上にわたり結び付けられていた時代に成長した。この同君連合は、兄ウィリアム4世の死去によって終わった。ハノーファーの継承法は男子のみによる相続(サリカ法)を定めており、新たなイギリス君主となった姪ヴィクトリアがハノーファーの君主も兼ねることを妨げたためである。この継承上の事情により、ヴィクトリアではなくエルンストがハノーファー王位に就き、この出来事は彼の公的なイメージとドイツの同王国の将来の双方を形作った。
治世と政策
国王としてのエルンストは王冠の特権を重視し、保守的かつ君主制を重んじる統治を支持した。同時代の観察者は、彼が自由主義的な改革に抵抗し、伝統的な制度の強化を図ったと記している。エルンストはハノーファーの在位君主に与えられた権限を用いて閣僚を任命し、立法に影響を及ぼした。その姿勢は、19世紀半ばのドイツ各地およびイギリスで見られた、より改革志向の潮流とは対照的であった。
家族と継承
エルンストは結婚し、その家族生活は王朝の継承に影響した。唯一生存した嫡出子の息子が、ハノーファーの君主として彼の後を継いだ。この息子は歴史記録ではジョージ5世として知られる。イギリスでは、エルンストは長くカンバーランド公の称号を保持し、王室の一員として認められていた。ハノーファー王冠の継承をもたらした兄は、ウィリアム4世であった。
意義と遺産
エルンストの治世は、イギリスとハノーファーの関係における重要な転換点となった。1837年以後、両国の王冠は恒久的に分離された。ハノーファーにおける彼の保守的統治は、君主制支持者にとって王朝の連続性を象徴するものとなった一方、批判者は憲法上の変化への抵抗を指摘した。彼の死後数十年にわたり、ハノーファー王国はドイツ統一という課題に直面し続け、彼が率いた家系は、19世紀後半の変動する政治の中で最終的にその地位を失った。
主要事項
- 1771年生まれ、国王ジョージ3世の五男。
- イギリス貴族としてカンバーランド公に叙された。
- 1837年6月28日にハノーファー王となった。
- ハノーファーでは息子のジョージ5世が後継した。
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著者
AlegsaOnline.com ハノーファー王エルンスト・アウグスト(1771年–1851年) Leandro Alegsa
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