肥後国 — 日本の歴史的な国(現在の熊本県)
肥後国は九州にあった日本の旧国で、現在の熊本県の大部分に相当する。本項では、その地理、歴史、文化、遺産を概説する。
概要
肥後国(ひごのくに)は、九州島にあった日本の旧国である。その領域はおおむね現在の熊本県に相当する。古い史料では、肥後国と隣接する肥前国を合わせて肥州と呼ぶことがあった。肥後国が属した国制は、近世以前の日本における領域編成の基本的な枠組みであり、明治期の改革まで行政・交通・地域的アイデンティティーの面で広く用いられた。
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3 画像地理と境界
肥後国は九州の中西部を占めていた。地形には海岸平野、河川流域、火山性の高地が含まれる。伝統的な国境の内側には、世界最大級の活動性火山カルデラの一つである阿蘇山があり、この地域を特徴づける地形要素となってきた。国の歴史的な境界は当時の地図で確認でき、九州の地域区分を論じる際にしばしば言及される(旧国の地図)。
- 現在の後継行政区域:熊本県
- 歴史上の隣接国には、次の国々が含まれる。
- 筑後国
- 豊後国
- 日向国
- 大隅国
- 薩摩国
歴史的展開
肥後国は他の国々と同様、律令国家のもとで名称をもつ領域として成立し、平安・鎌倉・室町の各時代を経て、戦国時代と江戸時代に至るまで存続した。封建時代には、その領域は藩制のもとで大名によって統治された。江戸時代には、有力な細川氏が著名な熊本藩を領有した。明治維新と19世紀後半に行われた廃藩置県により、国と藩は近代的な県制度へと置き換えられ、現在の熊本県という行政単位が成立した。
経済・文化と主な場所
肥後国の経済は、伝統的に平野部での水稲耕作と、火山性土壌の周辺における牧畜・高地農業を組み合わせたものであった。沿岸部では漁業と交易が営まれた。城下町、とりわけ熊本城の周囲に発展した都市は、政治・経済の中心地であった。文化生活には、城下の藩における武士文化、地域の祭礼、地域市場と結び付いた工芸生産など、九州に広く見られる特徴が反映されていた。阿蘇山とその周辺の火山景観は、長く信仰、観光、地域アイデンティティーにとって重要である。
遺産と区別
明治期の改革後、国は正式な行政単位ではなくなったが、肥後という名称は歴史研究、地名、文化的な呼称の中に残っている。地域史、城郭建築、九州の政治地理の展開を論じる際にも、しばしば取り上げられる。比較の観点では、隣接する肥前国との歴史的なつながりが、より広い西部九州地域を考察する際の共通した主題となっている。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 肥後国 — 日本の歴史的な国(現在の熊本県) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/44168
出典
- books.google.com : "Higo"
- books.google.com : "Provinces and prefectures"
- eos.kokugakuin.ac.jp : "Nationwide List of Ichinomiya," p. 3