ヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史と変遷:起源・迫害(ホロコースト)・移住・現代概説

ヨーロッパにおけるユダヤ人の起源からホロコースト、移住、現代までをわかりやすく辿る歴史概説。

著者: Leandro Alegsa

ユダヤ人の歴史は長く複雑であり、地域や時代によってその立場や生活条件は大きく変化してきました。以下では、ヨーロッパにおける主な変遷を、起源から現代までの流れでわかりやすく整理します。

起源とローマ時代

ユダヤ人は古代から地中海世界に存在し、ローマ時代には商業や宗教コミュニティを通じて各地に散らばっていました。もともとローマの支配下には少数のユダヤ人共同体があり、ローマ人との間でさまざまな法的地位や慣習的関係を持っていました。しかし、1–2世紀のローマ・ユダヤ戦争とエルサレム神殿の破壊以降、多くのユダヤ人がパレスチナから離散(ディアスポラ)し、パレスチナを離れてヨーロッパ、北アフリカ、アジア各地に移住しました。

中世の状況:迫害と共生の二面性

中世ヨーロッパでは、キリスト教の支配と教会の影響力が強まり、ユダヤ人の法的地位は地域ごとに大きく異なりました。多くの地域で居住・職業・宗教活動に制約が課され、しばしば都市内の特定区画(例:最初のゲットーとされるヴェネツィアの例など)に居住を限定されました。ユダヤ人が金融・為替や貸金業など特定の職業に従事した背景には、当時のキリスト教社会で利子貸しが宗教的に禁じられていたことや、都市経済での需要があったことがあります。これにより一部のユダヤ人が経済的に成功する一方で、嫉妬や偏見が高まり、反ユダヤ的な迫害や暴動の対象ともなりました。

一方で、地域によっては比較的保護される場合もありました。例えば、ポーランドでは歴代の君主がユダヤ人を保護する法令(例:カリスツ憲章に相当する諸特権)を与えたことから、東ヨーロッパに多くのユダヤ人(いわゆるアシュケナジム)が移住・定住し、ポーランド・リトアニア共和国時代には重要な文化的中心地となりました。対照的に、イベリア半島ではイスラム支配下の時期(アル・アンダルス)には比較的受容があった一方で、キリスト教勢力の再確立後には排斥や改宗の圧力が強まり、1492年のスペイン追放令(および後のポルトガルでの同様の措置)によって多くのユダヤ人が追放されました。この追放の一部はオスマン帝国へ向かい、オスマン領ではイスラム的なジズヤ制などの下で異教徒としての地位は制限されつつも、自治的な宗教共同体(ミッラー制度)としてある程度の独自法と宗教生活を維持することが許されました。

近世から近代:啓蒙・同化・民族国家の台頭

ルネサンス以後および啓蒙時代を経て、都市経済の発展や近代国家の形成とともに、ユダヤ人の条件は徐々に変化しました。フランス革命以降、ナポレオン1世期に始まる市民的平等の理念は、ユダヤ人の法的地位改善(市民権付与)を促しましたが、これが各国で一様に実現したわけではなく、同化や宗教放棄を余儀なくされる場合もあれば、差別的な制限が続いた地域もありました。

19世紀から20世紀にかけては、民族主義や人種主義の台頭により新たな反ユダヤ主義が広がりました。カール・マルクス、ジークムント・フロイトアルバート・アインシュタインら、多くのユダヤ出身者が学術・文化面で重要な貢献をしましたが、それと同時に社会的排除や職業・公職への制限が残りました。ロシア帝国では特に制限地域(パーレ・オブ・セトルメント、居住限定区域)や度重なるポグロム(暴力的迫害)が発生し、これが19世紀末から20世紀初頭の大量移民(主にアメリカ合衆国や南米のアルゼンチンへの移住)を促しました。

シオニズムと第一次世界大戦後の動き

19世紀末に台頭したシオニズム(セオドール・ヘルツルらによる民族自決をめざす運動)は、故郷としてのパレスチナ復帰を目指しました。第一次世界大戦中および戦後、イギリスは1917年のバルフォア宣言などにより「ユダヤ人の国民的郷土」を支持する姿勢を示し、戦後は国際連盟の委任統治下でパレスチナ地域(イギリス委任統治領)へのユダヤ人移民が増加しましたが、移民の増加は現地アラブ住民との摩擦を生み、衝突や反発が続きました。

第二次世界大戦とホロコースト(大虐殺)

20世紀の最も破壊的な出来事の一つが、ナチス・ドイツによるユダヤ人に対する体系的な迫害と大量虐殺です。ナチスはまず市民権や職業生活からユダヤ人を排除し、最終的には「最終解決」と呼ばれる絶滅政策を実行しました。強制収容所・絶滅収容所(例:アウシュヴィッツ=ビルケナウ、トレブリンカなど)や移動射殺部隊(Einsatzgruppen)を通じて、ヨーロッパのユダヤ人のうち約600万人が命を奪われたと推定されています。これは戦前ヨーロッパのユダヤ人人口のおよそ2/3に相当します。

各地域の状況は多様であり、デンマークや一部のバルカン諸国、アルバニアなどでは住民の救助活動や特定の事情により多くのユダヤ人が命を救われた例もありますが、全体としては広範な地域で破壊的被害が生じました。ホロコーストはユダヤ人社会だけでなく、ヨーロッパ社会全体に深刻な傷跡を残しました。

戦後の移動とイスラエル建国以降の変化

戦後、多くの生存者は住居を失い、故郷への帰還が困難であったため、アメリカ合衆国、南米、オーストラリア、そしてパレスチナへの移住が進みました。1948年にイスラエルが建国されると、それに伴う移民(アリヤ)がさらに加速しました。これらの移動によりヨーロッパのユダヤ人人口は大幅に減少し、戦前に比べて多くの国でコミュニティが縮小しました。例えば、ポーランドにいた約300万人のユダヤ人は戦前後の迫害と移住の結果、現在ではごく少数しか残っていません。

一方で、戦後のヨーロッパではホロコースト記憶の保持、戦犯裁判、資産返還や賠償問題、教育と記憶の制度化(記念館や研究)が進められました。また、冷戦期の状況も各国で異なり、ソビエト連邦下のユダヤ人は宗教や文化活動に制約があり、1990年代のソ連崩壊後には多くがイスラエルやドイツ、アメリカへ移住しました。これにより、ドイツやフランス、イギリスなどの近年のユダヤ人コミュニティは、戦後移民や旧ソ連からの移民の影響を受けて変容しています。

現代の状況と課題

  • 人口分布:現代のヨーロッパでは、フランス、イギリス、ロシア、ドイツなどに比較的大きなユダヤ人コミュニティが存在しますが、戦前の規模に比べると全体的には大幅に縮小しています。
  • 記憶と教育:ホロコーストに関する記憶の継承や教育は多くの国で重要課題となっており、記念碑や博物館、学校教育を通じた取り組みが行われています。
  • 反ユダヤ主義:近年でも反ユダヤ的言動や暴力が問題となる事例があり、各国で法的保護や警備、啓発活動が続いています。
  • 文化的復興と多様性:宗教的実践・文化活動・学術・芸術分野での活動は続いており、ユダヤ文化の保存と再生、コミュニティの多様化が進んでいます。
  • イスラエルとディアスポラの関係:ヨーロッパのユダヤ人社会はイスラエルとの関係や中東情勢にも関心を持ち、外交・コミュニティ内議論の重要な要素となっています。

まとめ

ヨーロッパにおけるユダヤ人の歴史は、古代からの定住と散在、宗教的・社会的制約、追放や保護、近代の市民権獲得、そして20世紀の壊滅的なホロコーストと戦後の移住という激しい変化の連続でした。今日では、ヨーロッパのユダヤ人コミュニティは規模・性格ともに多様であり、過去の記憶を継承しつつ、現代社会での安全と共生、文化の維持をめざした取り組みを続けています。

中世のユダヤ人の動きを示す地図。Zoom
中世のユダヤ人の動きを示す地図。

第二次世界大戦とホロコーストによってユダヤ人社会がどのような影響を受けたかを色で示した地図。合計すると、ユダヤ人の約2/3が戦時中に殺されました。Zoom
第二次世界大戦とホロコーストによってユダヤ人社会がどのような影響を受けたかを色で示した地図。合計すると、ユダヤ人の約2/3が戦時中に殺されました。

1945年から2010年までのユダヤ人の増減を示す地図。戦後、ほとんどの国でユダヤ人の移住が見られましたが、フランスなどはユダヤ人人口が増加しています。Zoom
1945年から2010年までのユダヤ人の増減を示す地図。戦後、ほとんどの国でユダヤ人の移住が見られましたが、フランスなどはユダヤ人人口が増加しています。

質問と回答

Q:ユダヤ人が初めてヨーロッパに来たのはいつですか?


A:ユダヤ人はローマ共和国とローマ帝国の時代から、何千年もヨーロッパに住んでいます。

Q:ヨーロッパにユダヤ人が大量に流入したのはどのような出来事ですか?


A:1世紀から2世紀にかけてのローマとユダヤの戦争と神殿の破壊の後、ユダヤ人はパレスチナから追放され、ヨーロッパ(と北アフリカ、アジア)にその数を大きく増やしました。

Q: キリスト教の反ユダヤ主義は、中世のユダヤ人にどのような影響を与えたのでしょうか?


A:中世ではキリスト教の普及と反ユダヤ主義によって、ユダヤ人の立場は一般的に悪くなりました。ユダヤ人はキリスト教徒と融合することも、ほとんどの仕事をすることも禁じられ、ゲットーと呼ばれる都市の特定の場所に隔離されることが多かったのです。

Q:ポーランドはどのようにユダヤ人を保護したのですか?


A:ポーランド国王は彼らを保護するために「カリシュの法令」を宣言しました。例えば、一般に不当な告発や処罰につながるような犯罪を犯したユダヤ人に対して、キリスト教徒は証言することができませんでした。

Q:フランス革命後、フランスはユダヤ人にどう対応したのですか?


A:フランス革命後、フランスは世俗的な法律を導入し、公的な場での宗教を廃止し、ユダヤ人をより公然と、個人的に何を信じてもよい社会の一員として扱い、同化させることを目的としたのです。


Q: 第二次世界大戦前のヒトラーの対ヨーロッパユダヤ政策はどうだったのですか?


A: 第二次世界大戦が始まる前、アドルフ・ヒトラーはヨーロッパのユダヤ人をパレスチナやアメリカなどの他の国へ移住させることを支持していましたが、最終的には、ドイツの支配下にある全てのユダヤ人を東方へ送るか死ぬまで働かせるというホロコーストと呼ばれる大量殺人政策を採用しました。

Q:第二次世界大戦前に比べて、現在のユダヤ人の人口はどうなっているのでしょうか?



A:現在でもフランス、イギリス、ロシアには第二次世界大戦前と同程度のコミュニティが残っていますが、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの占領により、多くの国でユダヤ人人口の大半(全てではないにしても)が失われました。


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