ジョン・ジェレミー・ソープ(John Jeremy Thorpe、1929年4月29日 - 2014年12月4日)は、イギリスの自由党の政治家である。20世紀後半に自由党の党首を務め、国政で一定の影響力を持ったが、1970年代後半のスキャンダルによって政治生命を断たれた人物として知られる。

生い立ちと教育

ソープは、元保守党国会議員ジョン・ヘンリー・ソープの息子としてロンドンのサウス・ケンジントンで生まれた。少年時代から名門教育を受け、イートン・カレッジを経て、トリニティ・カレッジ(オックスフォード大学)に進学した。学生時代から政治活動に関わり、後の政界進出の基盤を築いた。

政治家としての経歴

ソープは1959年に国会議員に初当選し、以降1960年代から1970年代にかけて自由党を代表する政治家として活躍した。1959年から1979年までノース・デヴォン州選出の国会議員を務め、1967年から1976年まで党首を務めた。在任中は保守党・労働党双方と距離を保ちながら自由党の存在感を高めようとし、社会政策や地方分権などを掲げた。党首辞任後も国会活動を続けたが、1970年代後半の一連の事件がキャリアに決定的な影を落とした。

ノーマン・スコット事件と裁判

1979年、ロンドンの中央刑事裁判所において、ソープはモデルのノーマン・スコット殺害の陰謀で無罪となった。背景には、スコットがソープとの関係を主張して公にしたこと、さらに1970年代半ばに発生した暴力事件(スコットやその周辺への危害を目的とした行為)があり、これが告発と大規模な報道へと発展した。裁判は当時の社会的・法的状況、証言の信憑性、政治的影響力などが複雑に絡み合う長期の公判となり、最終的に陪審はソープを無罪としたものの、裁判の過程で明らかになった事情はソープの公的評価に深刻な打撃を与えた。

その後と評価

無罪判決後もソープの政治的立場は回復せず、1979年をもって国会議員を退いた。以降は公の場から距離を置き、メディアや公的議論ではしばしば1970年代の出来事が取り上げられた。ソープの事件は、当時の社会における性的指向に関する偏見や、権力と私生活の関係についての議論を呼び起こした点でも重要である。晩年は比較的静かな生活を送り、2014年12月4日に85歳で亡くなった。

近年では、この事件は文化的関心を呼び、ドキュメンタリーやドラマ化(例:「A Very English Scandal」など)を通じて再評価されることが増えた。歴史的には自由党再編の契機や20世紀後半の英国政治史に残る重要な出来事として位置づけられている。