朝河貫一
この日本名では、姓は「浅川」。
朝河 貫一(あさかわ かんいち、1873年12月20日 - 1948年8月10日)は、日本の学者、作家、歴史家、図書館員、学芸員、平和運動家であった。
1940年の浅川
キャリア
1902年、ダートマス大学で講義をする。1906年から1907年にかけては早稲田大学教授を務めた。
1907年、浅川はイェール大学のスターリング記念図書館の東アジアコレクションのキュレーターに任命された。
浅川は1907年から1910年までイェール大学の教官を務め、その後助教授となった。彼はアメリカの主要大学における最初の日本人教授となった。彼は35年間イェール大学で歴史を教えた。彼が影響を与えた人物の一人にジョン・ホイットニー・ホールがいる。
浅川は、米国における日本研究、アジア研究の創設に貢献した。
政治
日露戦争終結後、浅川は日本における軍国主義の拡大に反対を表明するようになる。1941年には、日米開戦を阻止しようとした。
主な作品
OCLC/WorldCatは、浅川閑一に関する著作を、5言語、220以上の出版物、2,400以上の図書館所蔵の約110以上の作品に分類しています。
- 日本の初期の制度的生活。(1903)
- 日露戦争とその原因および問題点 (1905年)
- 日本の封建的土地所有の起源 (1914年)
- 中世日本における僧正の生活(1919年)
- 日本の封建制度の発達を物語る入来文書(1922年)
また、フランク・ブリンクリー編『日本』(1904年)、『諸国民の歴史』シリーズ(1907年)、『中国と極東』(1910年)、『日本と日米関係』(1912年)、『歴史における太平洋』(1917年)などにも寄稿している。
レガシー
浅川は、人生の大半をアメリカで過ごした。日系アメリカ人の歴史では、彼は日本で生まれた移民である一世の中に位置づけられる。
2007年、浅川がイェール大学の歴史学講師に就任してから100年を記念して、阿部信一郎が設計したイェール大学の浅川日本庭園が完成した。
関連ページ
- 大陸別歴史家リスト