ソゴモン・ゲヴォルキ・ソゴモニャン(通称:コミタス(Komitas Vardapet)ゴミダス・ヴァルタベド)(1869年9月26日、オスマン帝国のキュータイヤ出身 - 1935年10月22日、フランスのパリ没)は、アルメニアの神父、作曲家、聖歌隊長、歌手、音楽民族学者、音楽教師、音楽学者として知られ、近代アルメニア古典音楽の基礎を築いた人物です。

生い立ちと教育

コミタスは音楽に深い関わりのある家庭に生まれましたが、家庭では主にトルコ語のモノリンガルが用いられていました。彼は1歳で母を、10歳で父を失い、幼少期から教会音楽に親しんで育ちました。1895年に神父(Vardapet、あるいはVartabed)の称号を得ています。

1896年にベルリンへ渡り、カイザー・フリードリッヒ・ヴィルヘルム大学(当時)などで学び、リヒャルト・シュミットの私塾で作曲・音楽理論を学びました。1899年に音楽学の博士号を取得し、エシュミアドジン(エチミアジン)に戻りました。

音楽民族学と収集活動

帰国後、コミタスはアルメニア各地を旅して伝承歌や踊りを採譜・記録するフィールドワークを行い、約3,000曲にのぼる歌を収集しました。多くは一度は口承で伝えられていた民謡や教会の聖歌(シャラカン)であり、彼はこれらを西洋記譜法で写譜し、合唱用に調整・編曲して出版しました。これにより、アルメニアの伝統音楽が学術的に保存され、後の世代へ継承される基盤が作られました。

彼の編曲は、アルメニア固有の旋法やメロディーの特徴を尊重しつつ、西洋合唱の技法を取り入れることで、教会音楽と世俗的民謡の両面で広く受け入れられる形式を確立しました。研究者の間では、コミタスの仕事は音楽民族学(民族音楽学)の先駆的業績と評価されています。

主要作品と音楽的遺産

代表作には「バダラク(神の典礼)」(Badarak)の編曲があり、これは現在でもアルメニア教会典礼で最も広く用いられる設定のひとつです。彼の合唱編曲、歌曲、聖歌の写譜・出版は、アルメニア音楽の標準レパートリーとなりました。

また、コミタスは国際的にも評価され、当時の国際音楽界において注目されました。非ヨーロッパ人として最初期に国際音楽協会(International Music Society)の会員に加えられた人物の一人とされています。

1915年の逮捕と晩年

1915年4月24日(アルメニア人ジェノサイドの開始日とされる日)に、コミタスは逮捕され、翌日には他のアルメニアの著名人たちとともに列車に乗せられて中央アナトリア北部のチュンクル近郊へ送られました。しかし、彼の友人であったトルコの民族主義詩人エミン・ユルダクルや作家のハライド・エディップ(Halide Edip)ら、さらにアメリカ大使ヘンリー・モルゲンタウの介入を受け、タラート・パシャの特別命令により首都に戻されました。

その後の過酷な体験と精神的衝撃により、コミタスの精神状態は徐々に悪化しました。1916年秋にはトルコ軍の病院へ収容され、最終的には1919年に健康回復を期待してパリへ移住しました。1935年、ヴィレジュイフの精神科病院で死去し、翌1936年には遺灰がエレバンに移されてパンテオンに葬られました。

影響と記念

  • コミタスの研究と編曲は、アルメニア民族音楽の保存・体系化に決定的な役割を果たしました。彼を「近代アルメニア古典音楽の創始者」と呼ぶのは、この功績によります。
  • エレバン国立音楽院(Yerevan State Conservatory)は彼にちなんで名付けられ、教育面でも彼の影響は大きいです。
  • コミタスの名を冠した弦楽四重奏団など世界的に知られる演奏団体も存在し、彼の作品は今日でも国内外で頻繁に演奏されています。

コミタスは単に作曲家や編曲家であっただけでなく、民族音楽を収集・記録し体系化した研究者でもありました。その業績はアルメニア文化のアイデンティティ形成に深く関わり、20世紀の音楽史や民族音楽学においても重要な位置を占め続けています。