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Argumentum ad lazarum(貧困への訴え)

Argumentum ad lazarum(貧困への訴え)とは、主張者が貧しいことを理由にその主張を真実または道徳的に優れているとみなし、裕福であることを理由に虚偽とみなす非形式的誤謬である。

概要

Argumentum ad lazarumは、一般に「貧困への訴え」と呼ばれる非形式的な論理的誤謬である。これは、ある主張が真実か、徳にかなうか、正しいかを、その主張者の経済的地位から推論するものである。最も単純な形では、「貧しい人は正しい、または道徳的に優れているはずだ」と主張し、逆に裕福な人は誤っている、あるいは腐敗しているはずだとする。この誤謬は証拠や論理的推論を回避し、貧困または富に対する社会的・感情的な判断を論証の代わりに用いる。

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特徴と一般的な形態

この誤謬の典型的な徴候には、「貧しいが正直」といった標語や、話者が物質的財産を持たないことを主な理由として、その証言を重く扱う議論がある。貧困を同情を引き出すために用いる場合の憐憫への訴え(ad misericordiam)や、話者の境遇を反対意見の資格を失わせる理由とする状況論証的人身攻撃など、ほかの誤謬と併せて現れることも多い。名称上の対になるものは、富への訴えであるargumentum ad crumenamである。

  • 無効な推論:経済的地位が真実性の証拠として扱われる。
  • 感情への働きかけ:同情や貧困の美化が証明の代わりとなる。
  • 文脈への依存:論理的な効力がなくても、修辞としては説得的に見える場合がある。

起源と関連する考え方

この語句は、新約聖書のたとえ話に登場する貧しい物乞いラザロに由来する。このたとえ話では、来世におけるラザロの運命が富裕な男の運命と対照的に描かれる。この名称は、貧困を謙虚さや徳と結び付ける文化的傾向を際立たせている。誤謬一般については誤謬の概要を、たとえ話そのものについてはラザロのたとえを参照。

例、用いられる文脈、対応方法

政治、報道、倫理をめぐる議論、日常会話などで例が見られる。たとえば、貧困状態にある活動家が提案したという理由で政策を称賛したり、著者が裕福であるという理由で研究を退けたりする場合である。この誤謬に対処するには、話者の富ではなく、証拠、論理、情報源に基づいて主張を評価する。データの提示を求めること、独立した裏付けを探すこと、本人の境遇と議論の内容を分けて考えることが有用である。

重要性

貧困は人の視点や生きられた経験に影響を与えうるものであり、周縁化された人々の声には注意を払うべきである。しかし、経済的地位を理性の代替物として扱うことは、明晰な思考を損なう。貧困への訴えを認識することは、議論を公正に検討する姿勢を保ち、富の多寡だけを理由に人々を美化したり烙印を押したりすることを避ける助けとなる。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com Argumentum ad lazarum(貧困への訴え)

URL: https://ja.alegsaonline.com/art/5509

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