マナとは?出エジプト記の天からの糧 — 聖書に描かれた意味と特徴

出エジプト記の「マナ」の正体と由来、天からの糧としての意味や特徴をわかりやすく解説。神話と歴史の交差点を探る入門ガイド。

著者: Leandro Alegsa

マナとは聖書五章によると、イスラエルの民がエジプトを出てから40年間砂漠を旅していた時に、食べるものがないからと神が与えてくれた食べ物の名前である。毎朝、地面を覆っている白い薄片を集めていた。味は甘いと言われている。マナに飽きると、神はウズラ(鳥)を与えた。

聖書の記述と主要場面

聖書では、マナの詳細な記述は主に出エジプト記(特に16章)と民数記(11章)に見られる。出エジプト記の場面では、朝露のように地面に降りてくる白い食べ物として描かれ、イスラエルの民は毎朝集めて食べた。民数記では、民が肉を欲しがったときに神がウズラを送ったエピソードと、マナに対する人々の不平が記されている。

外見・味・性質

聖書の描写によれば、マナは「コリアンダーの種のように」小さく、白っぽい粒状(あるいは薄片状)で、味については「蜂蜜で作った薄焼き(ワッファー)のようだ」といった比喩が使われている。また別の伝承では、人によって好みの味に感じられるともされる。日持ちの性質については、通常は夜になると腐るが、安息日前の「六日目に集めた分」は翌日(安息日)まで腐らなかったとされる。

採集と保存に関する規定

  • 毎朝集めること:民は毎朝必要な分だけを集めるよう命じられた。
  • 量の規定:各人がその日の分を集め、余分を翌日に残してはならない(ただし安息日前の六日目は例外で、二日分=倍の量を集める)。
  • 保管:モーセは約束の箱の前に壺に入れたマナを保存して神への記念としたと記される。

ウズラ(鳥)のエピソード

マナに飽きたり、肉を求める民の嘆願に応えて神がウズラを送った出来事は、民数記に詳しい。このとき大量のウズラが風に乗って運ばれ、民は短期間で大量の肉を得たが、その後の対応や結果(病や裁き)が描かれているため、単なる食糧供給を超えた神と民との関係の象徴的な事件とも受け取られている。

宗教的・象徴的意味

マナは多くの宗教的解釈で「神の供給(provision)」と「信頼(依存)」の象徴とされる。毎日与えられることを通して人々の信仰と従順が試され、また養い続ける神の恵みが示される。ユダヤ教の伝承では、マナは必要に応じて味が変わったり、食べる者一人ひとりにとって最適なものになったとする説もある。キリスト教では、イエスが「天からの真のパン(命のパン)」と自らを重ね合わせる(ヨハネ6章など)など、マナがキリスト論的な象徴として用いられることが多い。

自然現象・科学的説明の試み

歴史を通じてマナの正体については多くの学説が出された。候補としては、砂漠植物(例:タマリクスなど)や樹液、昆虫やアカシア類などの分泌物、あるいは地表の結晶性物質や藻類といった自然由来の食用物質が考えられてきた。また、気象条件や朝露によって形成された薄片状の物質という説もある。ただし、いずれの自然説明も決定的な証拠があるわけではなく、聖書記述の奇跡性をどう見るかで解釈は分かれる。

文化的影響と現代語の用法

「天からのマナ(manna from heaven)」という表現は英語をはじめ多くの言語で「予期せぬ助け・恩恵」を意味する慣用句になっている。また文学・芸術・宗教教育において、マナは日々の糧、神の恵み、共同体の試練と救済を語る重要なモチーフとして繰り返し登場する。

まとめ:マナは聖書に登場する「天から与えられた糧」であり、その描写は具体的な外見や採集法を伴いつつも、同時に信仰的・象徴的な意味合いを強く持つ。科学的説明も試みられているが、宗教的伝承や典礼、文学的影響の面でも長く重要視されてきた存在である。

MannaはHoarfrostに匹敵する大きさと説明されている。芝生の上に置かれた霜柱。Zoom
MannaはHoarfrostに匹敵する大きさと説明されている。芝生の上に置かれた霜柱。

どこから来たんだろう?

マナは、聖書によると、天から降ってきたようなので、「天のパン」と呼ばれていた。イナゴの一種という説もある。また、空腹を満たすことで知られる木の樹液であったという説もある。ミシュナでは、天地創造6日目のたそがれ時に作られたとされている。



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