メキシコ独立戦争(1810-1821)は、メキシコの人々とスペインの植民地政府との間で起こった戦争である。それは9月16日に始まった 1810.メキシコ生まれのスペイン人(クリオージョ人)、メスティーソ人、アメリンド人がスペインからの独立を求めて起こしたものである。
メキシコ独立の背景はさらに古く、植民地支配の成立にさかのぼる。16世紀のスペインがアステカ帝国を征服したこと(この征服はエルナン・コルテスによって行われた)が、土地の再配分や先住民の被支配、身分制度(ペニンスラール=本国出身、クリオージョ=植民地生まれの白人、混血のメスティーソ、先住民・アフリカ系など)といった長期の不平等を生んだ。これらの不満や、不公正な税制・経済政策、宗教・行政の支配が独立運動の土壌となった。
18世紀末から19世紀初頭にかけて、啓蒙思想やアメリカ独立・フランス革命の影響、そしてスペイン本国での政治混乱が植民地の独立志向を強めた。1799年に起きた「マチェーテの陰謀」のような小規模な反植民地活動もあり、やがて1810年の「ドロレスのグリート」(通称「ドロレスの叫び」)で大規模な蜂起へと発展した。加えて、ナポレオンによるスペイン侵攻とそれに伴う王位の空白(半島戦争に伴う混乱)は、植民地支配を弱体化させ、独立運動を後押しした。スペインは侵攻してきた第一次フランス帝国との半島戦争に追われ、植民地統治の余力を失っていた。
主要な指導者と展開
- ミゲル・イダルゴ(Miguel Hidalgo y Costilla):1810年9月16日にドロレス(ドロレス・イダルゴ村)の教会で民衆に蜂起を呼びかけた司祭。農民・工人を中心とする大衆蜂起を組織し、グアナフアトなどを占拠したが、1811年に捕らえられ処刑された。
- イグナシオ・アジェンデ(Ignacio Allende)/フアン・アルダマ(Juan Aldama)らクリオージョの軍人・知識人も初期の蜂起を主導した。
- ホセ・マリア・モレロス(José María Morelos):イダルゴの死後、モレロスが指導者となり、軍事的にも政治的にも組織化を進めた。彼は植民地の社会改革や平等を唱え、議会(国家会議)を招集して独立と改革をめざしたが、1815年に捕らえられて処刑された。
- ビセンテ・ゲレーロ(Vicente Guerrero)などのゲリラ戦が戦闘を継続し、南部を中心に抵抗が続いた。
- アグスティン・デ・イトゥルビデ(Agustín de Iturbide):元は王党派(スペイン王を支持する立場)の将校であったが、1820年以降、本国の情勢変化を受けてクリオージョの利益を守るためゲリラ勢力と和解。1821年にゲレーロと結びつき、イグアラ出身の計画(プラン・デ・イグアラ)を掲げて独立を勝ち取る。これが王党派と独立派の融合を可能にした。
戦争の終結と独立
1821年、イトゥルビデとゲレーロが結んだ連合軍(「三つの保証の軍」)は、スペイン側と妥協して勢力を拡大し、同年8月にコルドバ条約(条約の承認)に相当する合意が成立した。最終的にメキシコは1821年に独立を宣言し、同年9月27日に独立軍がメキシコシティに入城して事実上の独立が完了した。その後、イトゥルビデは短期間ながら皇帝(アグスティン1世)となった。
影響と評価
- 政治的にはスペインによる直接支配は終わったが、独立後もクリオージョ層が主導権を握り、社会構造の大きな変革は限定的であった。
- 先住民やアフリカ系住民、貧困層にとって必ずしも生活改善が直ちにもたらされたわけではなく、長期にわたる不平等は残った。
- 経済的にはスペインとの結びつきが断たれ、独自の外交・経済関係を模索する時代が始まった。またラテンアメリカ諸国の独立運動の一環として国際的な波及効果も持った。
- 文化的・象徴的には、9月16日の「ドロレスの叫び」は今日のメキシコ独立記念日の起源とされ、国家的な記憶と結びついている。
メキシコ独立戦争は、階級・人種・地域を跨いだ複雑な抗争であり、単純な「民衆対宗主国」の図式だけでは語り切れない。革命的な側面と保守的な妥協が混在し、その結果として生まれた独立国家の性格は、建国後の政治不安や内戦、改革運動にも影響を与え続けた。