ミアフィシズム(合性論)とは|イエスの神性と人性の定義・歴史とカルケドン論争

ミアフィシズム(またはヘノフィシズム)とは、キリストの性質についての考え方です。この思想では、イエス・キリストには、神的な面と人間的な面の2つの異なる側面があるとしています。この2つの側面は、1つの本性に統合されていると言います。両者は区別できず、共存しているのです。これは、と体は別々のものであり、それらが組み合わさって人という一つの単位を作るという二元論の考え方に非常に近いものです。ミアフィジティズムの場合、別々のものとは、イエスの神性と人間性のことです。

ミアフィシズムは、カルケドン派のキリスト教徒にとっては、しばしばモノフィシズムの一種であると考えられてきましたが、東洋正教自身はこのような位置づけを否定しています。

定義と語源

ミアフィシズム(mia physis)はギリシャ語の「μία φύσις(1つの本性)」に由来し、特に「神の言(ロゴス)が肉となった一つの本性」という表現で要約されることが多いです。歴史的には、これはキュリロス(Cyril of Alexandria)らの表現に連なる伝統で、神性と人性が「混じり合う」「消失する」といった意味ではなく、二つの性質が一つの複合的・統一的実体(the one incarnate nature of the Word)として共存することを強調します。

ミアフィシズムとモノフィシズムの違い

  • ミアフィシズム:神性と人性が混合や消失ではなく、「一つの在り方」に統一されると主張する(“from two natures, one nature”=「二つから一つへ」的な理解)。
  • モノフィシズム:しばしば「キリストの人性が神性に吸収された」などと解釈され、結果的に一つの性質(通常は神性)だけが残るとされる立場。カルケドン派などはミアフィシズムをモノフィシズムと同一視して批判してきたが、ミアフィシズム側はこれを誤解・中傷とみなす。

カルケドン論争との関係(歴史的背景)

5世紀の教会会議、特にエフェソス公会議(431年)やカルケドン公会議(451年)はキリスト論の主要な争点でした。カルケドン公会議は「二性(一人の位格における二つの本性)」を定式化し、イエスは「混淆なく、変化なく、分割なく、分離なく」二つの本性を有すると宣言しました。この定義に対して、一部の教会指導者や地域教会(後の東方正教会やコプトなどのオリエント正教会)は反対し、自らの立場をミアフィシズムと説明しました。結果として「カルケドン派」と「非カルケドン派(しばしばミアフィシターと呼ばれる)」の分裂が起きます。

主な支持者と教会

  • キュリロス(Cyril of Alexandria)に代表される伝統的表現が、後のミアフィシズム的立場の基礎とみなされることがある。
  • セウェルス・アンティオキア(Severus of Antioch)などはミアフィシズムを擁護した主要な教父の一人。
  • 現代に至るまでの代表的な教会:コプト正教会、シリア正教会(ヤコブ派)、アルメニア使徒教会、エチオピア正教会、エリトリア正教会などのオリエント正教会(しばしば「東方正教会」と区別して「オリエント正教会」「非カルケドン派教会」と呼ばれる)。

神学的含意

ミアフィシズムは、キリストの救済作用や秘跡、聖性と受肉の関係に関して重要な含意があります。特に、神と人との結びつきが緊密であることを強調するため、キリストの行為における神性と人性の共働(協働)や、苦しみ・受肉の実在性・救済的有効性が重視されます。ミアフィシズムは、キリストの単一の位格(ペルソナ)とその統一的実存を強調する傾向があります。

誤解と現代の対話

長年にわたり、カルケドン派(東方正教会・カトリックなど)側はミアフィシズムをモノフィシズムと等置して批判してきました。一方、ミアフィシズムを主張する教会側は自身がモノフィシズムを否定しており、両者の争いは多くの場合、用語や強調点の違いによるものだと近年の学問的・教会的対話では評価されています。

20世紀後半から現代にかけて、オリエント正教会とカルケドン派の間でのエキュメニカルな対話が進み、両派の神学的立場が相互理解へと近づく動きが見られます。多くの共同声明や対話の結果、「ミアフィシズムは必ずしもモノフィシズムを意味しない」「歴史的対立は詞句の違いに起因する側面が大きい」といった共通認識が得られつつあります。

用語の注意点と現代的呼称

  • 「ミアフィシズム(Miaphysitism)」という呼称は学術的に用いられる一方、当該教会や信徒の側には「非カルケドン派」「東方オリエント教会(Oriental Orthodox)」など別の呼称を好む場合があります。
  • 「モノフィシト(Monophysite)」という言葉は歴史的に侮蔑的・攻撃的に用いられることがあったため、当事者の自己表現としては好まれないことが多いです。例えばエチオピア語・ゲエズ語の伝統では「テワヘド(Tewahedo、‘一つにされた’の意)」という語が用いられ、ミアフィシズム的理解の肯定的表現となっています。

まとめ

ミアフィシズムは、イエス・キリストの神性と人性を一つの統一された在り方の中にとらえるキリスト論的立場であり、単に人性を否定するモノフィシズムとは区別されます。歴史的にはカルケドン公会議以降の教会分裂の中心問題の一つでしたが、近年の学術的・教会間対話を通じて、用語や強調点の違いが相互理解の鍵であると認識されつつあります。

質問と回答

Q: ミアキスとは何ですか?


A: ミアフィジズムとは、キリストの性質に関する考え方で、キリストには神的な面と人間的な面の2つがあり、それが1つの性質に統合されて共存しているとするものです。

Q: ミアフィジズムは二元論と比較してどうなのでしょうか?


A: ミアフィジズムは、2つの異なる要素、この場合はイエスの神性と人間性の特徴を組み合わせることを示唆する点で、二元論と似ています。

Q: モノフィジズムとはどのような概念ですか?


A: 単身論とは、イエス・キリストがただ一つの神性を持ち、人間性を持たなかったとする考え方です。

Q: なぜミアフィジズムはしばしばモノフィジズムの一形態とみなされるのでしょうか?


A: ミアフィジズムは、キリストの本性が一つであるという信念を共有しているため、しばしばモノフィジズムの一形態と見なされますが、東方正教会はこの特徴を否定しています。

Q: 誰がミアフィジズムをモノフィジズムの一形態と見なすことを否定しているのですか?


A: 東方正教会は、ミアフィジズムが一元論の一形態であることを否定しています。

Q: ミアフィジズムをより真剣に捉え始めている宗教団体はどこですか?


A: 東方正教会とローマ・カトリック教会が、ミアフィジズムをより真剣にとらえ始めています。

Q: ミアフィジズムによると、キリストの2つの側面はどのようなものなのでしょうか?


A: ミアフィジズムによれば、キリストの2つの側面とは、その神性と人間性の特徴であり、これらは1つの区別できない性質に統合されています。

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