オークランド・レイダース
オークランド・レイダースは、ナショナル・フットボール・リーグに所属するアメリカンフットボールのプロチームである。アメリカ合衆国のカリフォルニア州オークランドで活動している。スタジアムはオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムである。1960年にアメリカンフットボールリーグの新チームとして創設された。アメリカンフットボール・カンファレンス西地区でプレーしている。ライバルはデンバー・ブロンコス、カンザスシティ・チーフス、ロサンゼルス・チャージャーズである。レイダーズはスーパーボウルで3回優勝している。
チームの歴史
アメリカンフットボールリーグ時代(1960年~1969年)
1959年のAFLの最初のドラフトの数ヵ月後、ミネアポリス新チーム(後のミネソタ・バイキングス)のオーナーは、ナショナルフットボールリーグへの加入の誘いを受けた。AFLは、その代わりとなるチームを早急に見つけようとした。オークランドは、プロのアメリカンフットボールチームができる可能性の低い都市だと思われていた。ロサンゼルス・チャージャーズのオーナー、バロン・ヒルトンが、西海岸に第2チームを設置しなければ自分のチームを降ろすと脅した後、AFLのオーナーはオークランドを選んだ。オークランド市は1960年1月30日にAFLの8番目のチームとして認められ、ミネアポリスのクラブのドラフト指名権を引き継ぐことになった。オークランド市の新チームは、海賊の代名詞として使われる「レイダーズ」と呼ばれるようになった。チームロゴには海賊のイラストが描かれている。
初期のレイダーズは苦戦を強いられた。アル・デービスがヘッドコーチ兼ゼネラルマネジャーに就任すると、レイダーズは良くなった。デイビスはジョン・ラウチを雇い、ヒューストン・オイラーズとの最初のAFLチャンピオンシップに臨み、40対7で勝利した。AFL初優勝の後、スーパーボウルIIに出場し、グリーンベイ・パッカーズに33-14で敗れた。次の2年間、レイダーズは再び西部地区で優勝したが、AFLチャンピオンシップでは、最終的にスーパーボウルを制したニューヨーク・ジェッツ(1968年)とカンザスシティ・チーフス(1969年)に敗れただけだった。
ナショナルフットボールリーグ時代(1970年~現在)
1969年シーズン終了後、AFLはNFLとの合併を決定。レイダーズはアメリカン・フットボール・カンファレンスに西地区メンバーとして参加。ジョン・マッデンがヘッドコーチに就任。スーパーボウルXIでミネソタ・バイキングスに32-14で勝利し、レイダーズをスーパーボウル初勝利に導いた。その後、マッデンは解説者としてのキャリアを歩むために退団。レイダーズは、NFL史上初のヒスパニック系ヘッドコーチ、トム・フローレスを雇った。フローレスはスーパーボウルXVでフィラデルフィア・イーグルスに27-10で勝利し、レイダーズを2度目のスーパーボウル制覇に導いた。レイダーズはワイルドカードチームとして初めてスーパーボウルで優勝した。
ロサンゼルス・レイダース(1982~1995年)
アル・デイビスはレイダーズをロサンゼルスに移転させるためのメモにサインした。レイダーズはワシントンレッドスキンズを相手に3度目のスーパーボウルで優勝した。
オークランド・レイダース(1995年~現在)
レイダーズはオークランドに戻る。現在、レイダーズは2003年シーズンのスーパーボウルXXXVIIでタンパベイ・バッカニアーズに敗れた後、苦戦を強いられている。
シーズンごとの記録
注:W=勝ち、L=負け、T=引き分け
シーズン | W | L | T | 仕上がり | プレーオフ結果 |
オークランド・レイダース(AFL) | |||||
1960 | 6 | 8 | 0 | 3位 AFL西日本 | -- |
1961 | 2 | 12 | 0 | 4位 AFL西日本 | -- |
1962 | 1 | 13 | 0 | 4位 AFL西日本 | -- |
1963 | 10 | 4 | 0 | 第2回AFL西日本大会 | -- |
1964 | 5 | 7 | 2 | 3位 AFL西日本 | -- |
1965 | 8 | 5 | 1 | 第2回AFL西日本大会 | -- |
1966 | 8 | 5 | 1 | 第2回AFL西日本大会 | -- |
1967 | 13 | 1 | 0 | 第1回AFL西日本大会 | AFL優勝(Oilers)40-7 |
1968 | 12 | 2 | 0 | 第1回AFL西日本大会 | 西部地区プレーオフ優勝(チーフス)41-6 |
1969 | 12 | 1 | 1 | 第1回AFL西日本大会 | ディビジョナル・プレーオフ優勝(Oilers)56-7 |
NFLに統合される | |||||
1970 | 8 | 4 | 2 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ドルフィンズ)21-14勝利 |
1971 | 8 | 4 | 2 | 2位 AFC西地区 | -- |
1972 | 10 | 3 | 1 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(スティーラーズ)13-7で敗退 |
1973 | 9 | 4 | 1 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(スティーラーズ)33-14勝利 |
1974 | 12 | 2 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ドルフィンズ)28-26勝利 |
1975 | 11 | 3 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ベンガルズ)31-28勝利 |
1976 | 13 | 1 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ペイトリオッツ)24-21で勝利 |
1977 | 11 | 3 | 0 | 2位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(B.コルツ)37-31勝利 |
1978 | 9 | 7 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1979 | 9 | 7 | 0 | 3位 AFC西地区 | -- |
1980 | 11 | 5 | 0 | 2位 AFC西地区 | ワイルドカード・プレーオフ(オイラーズ)27-7で勝利 |
1981 | 7 | 9 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
ロサンゼルス・レイダース | |||||
1982 | 8 | 1 | 0 | 第1回AFCコンフ+ | 1回戦(ブラウンズ)27-10で勝利 |
1983 | 12 | 4 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(スティーラーズ)38-10で勝利 |
1984 | 11 | 5 | 0 | 3位 AFC西地区 | ワイルドカード・プレーオフ(シーホークス)13-7で敗退 |
1985 | 12 | 4 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ペイトリオッツ)27-20で敗退 |
1986 | 8 | 8 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1987 | 5 | 10 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1988 | 7 | 9 | 0 | 3位 AFC西地区 | -- |
1989 | 8 | 8 | 0 | 3位 AFC西地区 | -- |
1990 | 12 | 4 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ベンガルズ)20-10勝利 |
1991 | 9 | 7 | 0 | 3位 AFC西地区 | ワイルドカード・プレーオフ(チーフス)10-6で敗退 |
1992 | 7 | 9 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1993 | 10 | 6 | 0 | 2位 AFC西地区 | ワイルドカード・プレーオフ(Broncos)42-24勝利 |
1994 | 9 | 7 | 0 | 2位 AFC西地区 | -- |
オークランド・レイダース | |||||
1995 | 8 | 8 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1996 | 7 | 9 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1997 | 4 | 12 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
1998 | 8 | 8 | 0 | 2位 AFC西地区 | -- |
1999 | 8 | 8 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
2000 | 12 | 4 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ドルフィンズ)27-0で勝利 |
2001 | 10 | 6 | 0 | 1位 AFC西地区 | ワイルドカード・プレーオフ(ジェッツ)38-24勝利 |
2002 | 11 | 5 | 0 | 1位 AFC西地区 | ディビジョナル・プレーオフ(ジェッツ)30-10で勝利 |
2003 | 4 | 12 | 0 | 3位 AFC西地区 | -- |
2004 | 5 | 11 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
2005 | 4 | 12 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
2006 | 2 | 14 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
2007 | 4 | 10 | 0 | 4位 AFC西地区 | -- |
合計 | 422 | 326 | 11 | (1960年~2006年、AFL・NFLプレーオフを含む) |
+ = 1982年のストライキによるシーズン短縮のため、全チームがディビジョンではなくカンファレンスでランク付けされた。