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教皇リベリウス(在位352年–366年)

352年から366年まで在位した教皇。リベリウスの在位期はアリウス派論争、皇帝の圧力、追放によって特徴づけられ、その行動と後世の崇敬は歴史的論争の対象となっている。

教皇リベリウスは、352年5月17日から366年9月24日に死去するまでローマ司教を務めた。リベリウス目録は、彼がユリウス1世の後継者として5月22日に聖別されたと記録している。リベリウスの在位期は、キリストの本性をめぐる神学論争と皇帝権力の限界をめぐる問題がカトリック教会の生活を形づくった、動揺の大きい時代に当たる。

リベリウスの司教としての経歴の大部分は、アリウス派論争によって特徴づけられる。彼はアレクサンドリアのアタナシウスらニカイア派の司教を擁護し、教会指導者にアリウス派の定式を承認させようとする皇帝の要求に抵抗したことで記憶されている。コンスタンティウス2世の圧力のもと、リベリウスは355年に追放され、通例フェリクス2世と呼ばれる対立司教がローマに据えられた。この出来事は長期にわたる分裂を生み、教会と国家の関係の歴史における重要な局面となった。

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論争のある行動と歴史的議論

数年に及ぶ追放ののち、リベリウスは350年代後半にローマへ戻った。同時代および後世の一部の記録は、釈放を得るため、アタナシウスを非難するように見える文書への署名を含む妥協を彼が受け入れたと主張する。他方で別の史料は、彼を不動の人物であり、正式にアリウス派へ同調したことはない者として描く。現代の歴史家たちは、これらの記録の信頼性と、リベリウスが皇帝の圧力にどの程度屈したかを引き続き論じている。

記録が相反するため、リベリウスの評価は曖昧なものとなっている。彼はギリシアのメノロギオンなど東方の典礼一覧に登場し、これは後の西方における正式な列聖手続きに先立つ形態の崇敬を反映している。同時に、彼の行動の一部やその名に結び付けられた論争のある文書のため、一部の学者や教会当局は彼の遺産を慎重に扱ってきた。

意義と主な出来事

  • 352年5月17日:教皇職を開始。聖別は5月22日と記録される。
  • 355年:コンスタンティウス2世により追放され、対立司教フェリクス2世が据えられる。
  • 350年代半ば:アリウス派とアタナシウスをめぐる論争が続くなか、ローマへ帰還。
  • 366年9月24日:死去。ダマスス1世が後継者となる。

リベリウスの教皇職は、皇帝が神学論争と司教任命に直接介入した時代、ローマ司教座が受けた圧力を示している。彼の生涯と行動についての多様な記録は、教義、教会統治、皇帝権力が4世紀の教会においてどのように相互作用したかという、より大きな歴史の一部として研究され続けている。

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