教皇リヌス(ラテン語: Linus)は、伝承によればカトリック教会の第2代教皇(ローマ司教)とされる人物です。伝統的な在位年はおおむね紀元67年頃から76年頃とされますが、年代については史料によって差があり、正確な在位期間は不確かです。
生涯(伝承と史実の区別)
伝承では、リヌスはトスカーナ州のトスカーナ地方、ヴォルテラの出身で、ペトロの弟子となり、ペテロによって司教に任ぜられたと伝えられます。教会史の古い記録(例えばイレナイオスやエウセビオスの記述)では、ペテロの後を継いでローマ教会の先頭に立った人物としてリヌスの名が挙げられますが、これらはいずれも後代の文献に基づく伝承であり、同時代の確実な史料は乏しいです。
伝承の一部では、リヌスはアプリア地方のルヴォ(Ruvo)にキリスト教共同体を形成し、その集会所が現在のサン・クレートの地下聖堂にあたるとされています。また、ブザンソン(フランス)にも伝道したという説も伝わりますが、これらの伝承的事跡の多くは確証に乏しく、後世の付会が混入している可能性があります。
殉教と列聖
リヌスに関する伝承の一つは、ローマの役人(伝承上はサトゥリヌスあるいはサトゥルニヌス)の娘を改宗させたために逮捕・投獄され、最終的に処刑(首をはねられたとする説)されたというものです。これに基づいて、リヌスは殉教者とされることがあり、新約聖書の文献(たとえばテモテ二書4章21節に「リヌス」の名が現れる)と結び付けられて同一人物と見なす伝統もあります。しかし、これらの詳細については史的根拠が薄く、現代の歴史学・教会史学では慎重な取り扱いがなされています。
聖人としての位置づけと記念
リヌスは伝統的に聖人として記憶され、ローマ・カトリック教会では列聖され、その記念日は一般に9月23日とされています(東方の伝承でも同様に記念される場合がありますが、慣行は地域によって異なります)。伝承ではリヌスはペトロの近くに葬られ、ローマの古い墓地(バチカンの墓所)に遺骸があると伝えられていますが、考古学的・史料的な裏付けは限定的です。
学問的評価
リヌスに関する情報の多くは後代の典拠に依拠しており、同名の人物が新約聖書に現れる点をもって同一人物と断定することには慎重さが求められます。教皇としての具体的な活動内容や教会組織への寄与については確実な一次史料が少なく、信仰上の伝承と史実を区別して理解することが重要です。
総じて、リヌスは初期ローマ教会の重要な伝承的指導者の一人として記憶されており、歴史・教会史の研究においてはその伝承的側面と史的確実性の評価が続けられています。

