セルビア・モンテネグロとは 旧ユーゴスラビアの国家連合と2006年独立の経緯
セルビア・モンテネグロ(セルビア語: Србија и Црна Гора、Srbija i Crna Gora、略称 SCG)は、かつて存在した国家連合の名称です。構成国はセルビアとモンテネグロで、両国はもともと社会主義ユーゴスラビアの構成共和国でした。1992年から2003年までは「ユーゴスラビア連邦共和国(FRY)」の名で連邦として残り、2003年の憲章改正により弱い連合(State Union of Serbia and Montenegro)として再編され、最終的に2006年に双方が別々の独立国家となりました。
地理
セルビア・モンテネグロの領域はバルカン半島西中央部に位置し、両共和国を合わせた国境は次の国々と接していました:ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、(セルビア側で)ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、北マケドニア、(モンテネグロ側で)アルバニア。また、モンテネグロにはアドリア海に面したおよそ200kmの海岸線がありました。
政治体制と経済・通貨
2003年以降の「セルビア・モンテネグロ」は連合体であり、外務・防衛など一部の国政分野は連合政府の管轄にありましたが、両共和国は内部政策に関して高い自治を維持していました。たとえば経済政策や財政、社会保障はそれぞれの共和国が独自に運営しており、通貨も統一されていませんでした。モンテネグロは1999年にドイツマルクを事実上の通貨として採用し、2002年以降はユーロを単独で採用しました。一方、セルビアはセルビア・ディナール(ユーゴスラビア時代からの流れをくむ通貨)を使用していました。
独立に至る経緯(2006年)
2003年の連合憲章では、加盟各共和国が一定期間後に独立の是非を問うことができる権利を認めていました。これを受けてモンテネグロは独立の是非を問う住民投票を実施しました。
- 投票日:2006年5月21日
- 独立賛成の閾値:国際仲介のもとで設定された有効投票の55%以上(※単純過半数より高い基準)
- 結果:賛成55.5%で閾値をわずかに上回り、独立が承認された
- モンテネグロの独立宣言:2006年6月3日
- セルビア側の対応:2006年6月5日、セルビアの国会はセルビアの主権を再確認し、旧連合の解消を受けてセルビアは独立国家としての立場を確立した(セルビアが国連の継承国として扱われ、国連の代表権を維持)
その後と評価
以降、モンテネグロとセルビアはそれぞれ別個の外交関係と国内政策を進めています。モンテネグロはユーロを使い、EU加盟やNATOとの関係も模索してきました。セルビアは独自の経済・外交路線をとり、地域の安定やEU加盟交渉などを進めています。二国間関係は総じて良好ですが、歴史問題や周辺地域の政治情勢が影響することもあります。
まとめると、セルビア・モンテネグロは旧ユーゴスラビアのうちの2共和国が1992年以降に形成した連合体が2003年に形を変え、2006年にそれぞれ独立国家となって解消された政治的実体です。
質問と回答
Q:セルビア・モンテネグロとは何ですか?
A: セルビア・モンテネグロはセルビアとモンテネグロの国家連合の名前です。
Q: 国家連合になる前のセルビア・モンテネグロとは?
A: セルビアとモンテネグロは、国家連合になる前はユーゴスラビア共和国の2つの別々の共和国でした。
Q: セルビアとモンテネグロがそれぞれの国になったのはいつですか?
A: セルビアとモンテネグロは2006年に独立しました。
Q: セルビア・モンテネグロと国境を接していた国はどこですか?
A: 西側はボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチア、北はハンガリー、東はルーマニアとブルガリア、南は北マケドニア、南西はアルバニアです。
Q:セルビアとモンテネグロは別々の経済政策と通貨を持っていたのですか?
A: はい、セルビアとモンテネグロは別々の経済政策と通貨を持っていました。
Q: セルビアとモンテネグロは一つの政府の下に統合された主権国家でしたか?
A: はい、セルビアとモンテネグロは一つの政府の下に統合された主権国家でした。
Q: 2006年5月21日にモンテネグロ国民による投票が行われた後、何が起こりましたか?
A: 2006年5月21日にモンテネグロ国民による独立投票が行われ、55.5%の得票率で勝利し、2006年6月3日にモンテネグロは独立を宣言しました。その2日後の2006年6月5日、セルビアが独立を宣言しました。