1781年9月28日から10月19日にかけて行われたヨークタウンの戦い(ヨークタウン包囲戦とも呼ばれる)は、アメリカ独立戦争における最後の主要な陸戦とされている。ジョージ・ワシントン将軍が率いる大陸軍は、チャールズ・コーンウォリス将軍が率いるイギリス軍に決定的な勝利を収めた。コーンウォリスはワシントン軍に包囲され、降伏を余儀なくされました。
アメリカ軍は、ロシャンボー伯爵率いるフランス軍に助けられた。戦いの舞台となったのは、ヨーク川に近いバージニア州ヨークタウンである。フランスの艦隊がイギリスの艦隊を破ったことで、コーンウォリスは切り崩され、フランスと大陸軍に降伏せざるを得なくなった。結局、2年後の1783年にパリ条約を結ぶことになった。
背景
1781年のヨークタウン包囲は、北部戦線での消耗戦の後に生まれた戦略的決断の結果である。ワシントンとロシャンボー(ロシュャンボー伯爵)は、ニューヨークに展開していたイギリス軍を直接攻撃するのではなく、機を見てバージニアへ転進し、コーンウォリスの部隊を孤立させる計画を採った。これに加えて、フランス海軍がカリブ海からチェサピーク湾へ進出し、英艦隊との決戦で勝利したことで(後述)、イギリス軍の海上補給・撤退が不可能になった。
海戦と包囲の経過
決定的な要因の一つは海上の勝利である。フランス艦隊がチェサピーク湾でイギリス艦隊を阻止したことで、コーンウォリスは海からの救援や撤退を断たれた。これにより、ワシントンとロシュャンボーは陸上からの包囲を開始する機会を得た。
連合軍は塹壕(パラレル)を掘って前進し、工兵と砲兵による組織的な砲撃でイギリスの守りを徐々に崩した。包囲戦の典型的手法が用いられ、接近戦用の壕と並行線を設けて攻撃線を短縮し、野砲や迫撃で要塞を弱体化させた。砲撃と夜間の突撃により陥落が近づくと、イギリス側の士気と補給は悪化した。
降伏とその際の出来事
最終的にコーンウォリスは降伏を決断し、1781年10月19日に正式にイギリス軍が降伏した。降伏によりおよそ7,000〜8,000名のイギリス兵が捕虜となったとされる(数は資料により差がある)。コーンウォリス本人は「病気」を理由に降伏式に出席せず、代理の将校を送ったというエピソードでも知られている。連合軍側では、アメリカとフランス両軍の代表が降伏受け入れに関与した。
影響と意義
ヨークタウンの勝利は戦争の流れを決定的に変えた。直接的に即時の独立をもたらしたわけではないが、イギリス国内での戦争継続に対する支持を大きく弱め、和平交渉への道を開いた。最終的に1783年のパリ条約で、アメリカ合衆国の独立が国際的に承認されることになった。
遺産
ヨークタウンはアメリカの独立史において象徴的な戦場であり、戦術的協調(アメリカとフランスの連携)と海軍の重要性を示した事例として教科書的に取り上げられる。現在、ヨークタウン周辺は保存され、訪問者は戦場跡や記念碑、博物館で当時の状況を学ぶことができる。
主要人物(概略)
- 連合軍:ジョージ・ワシントン(大陸軍)、ロシャンボー伯爵(フランス軍)ら
- イギリス軍:チャールズ・コーンウォリス
- 戦場:バージニア州ヨークタウン

