エリザベート・シャルロット・ドルレアン(1676年9月13日 - 1744年12月23日)は、ルイ14世の姪にあたるフランス王家オルレアン家出身の貴婦人で、のちにロレーヌ公レオポルドの妻としてロレーヌ公妃となった。政治的にも文化的にも影響力を持ち、ロレーヌ公国で摂政の職を務めた時期があり、さらに晩年はコメルシー(Commercy)において「コメルシー公女(Princesse de Commercy)」の称号と居所を与えられて生活した。
出自と結婚
エリザベート・シャルロットはフランス王家オルレアン家の一員として生まれ、王室との近い親戚関係を背景に1698年にロレーヌ公国の君主レオポルドと結婚した。結婚によりロレーヌ公妃の地位を得て、宮廷の運営や公国の政治に関わる立場となった。
子女と家族的影響
夫レオポルドとの間には多数の子をもうけ、その中で最も著名なのが後の神聖ローマ皇帝フランシス1世(マリー・アントワネットの父)である。フランシスの出自はのちのハプスブルク朝との結びつきに重要な役割を果たし、エリザベート・シャルロットの子孫はヨーロッパ諸国の王家と強く連携することになった。
政治的役割(摂政として)
公妃として、エリザベート・シャルロットは宮廷内外において実務的な役割を担い、夫の不在時や政務上の重要時に摂政や代理統治を務めることがあった。その統治期間には、公国の行政や外交、地方有力者との関係調整などに一定の影響力を行使した。
文化・建築の庇護者
芸術と建築の保護者としても知られ、ロレーヌの宮廷における建築計画や城館整備に深く関与した。特に地元の館や城郭の改修・建設に影響を与え、ルネヴィル城の整備などにも関与したと伝えられる。また、1711年には有望な若手建築家ジェルマン・ボフランを宮廷に紹介し、彼の後の活躍(フランス宮廷建築やパリでの仕事)につながった。こうした庇護はロレーヌの宮殿を「地方のヴェルサイユ」として発展させる基盤となった。
晩年と死去、遺産
晩年はコメルシーに居を構え、公女としての地位を保ちながら地方での文化的生活を続けた。1744年12月23日に没し、その生涯はフランス王家との結びつき、ロレーヌ公国での政治的役割、そして芸術・建築に対する長期的な庇護という側面で評価されている。とりわけ息子フランシス1世を通じてヨーロッパの王家に影響を与えたことが、彼女の歴史的意義の一つである。