2000年のアメリカ大統領選挙は、民主党のアル・ゴア候補(当時副大統領)と共和党のジョージ・W・ブッシュ候補(当時テキサス州知事、父は元大統領のジョージ・H・W・ブッシュ)との争いであった。

現職のビル・クリントン大統領は既に2期を務めており3期目の立候補資格がなかったため、民主党は副大統領のゴアを指名しました。共和党は早くからブッシュが有力視され、ジョン・マケイン上院議員らとの競争はあったものの、スーパーチューズデーまでにブッシュが党の指名を確保しました。第三政党からも複数の候補が出馬し、中でもラルフ・ネイダー氏が注目を集めました。ブッシュは副大統領候補にディック・チェイニー元国防長官を選び、ゴアはジョー・リーバーマン上院議員を副大統領候補に選びました。選挙戦では外交問題も扱われたが、討論は主に予算、減税、連邦社会保障制度や医療・教育などの国内政策に集中しました。クリントン政権の後半に起きたルウィンスキーのスキャンダルの影響で、クリントン大統領とゴア副大統領が頻繁にともに選挙運動を行わなかった点も当選争いの文脈で語られました。

選挙結果と全国の一般投票

1999年〜2000年の選挙サイクルの締めくくりとして、2000年11月7日の本選挙が行われ、選挙人投票の最終結果はブッシュ271票、ゴア266票という僅差となりました(なお、ワシントンD.C.の一人の選挙人が投票を棄権したため合計538票が補われています)。全国の一般投票(popular vote)では、ゴアが約54万票の差で上回っており、全国得票数ではゴアが多数を得ていました。

フロリダ州の再集計を巡る争い

フロリダ州の25(当時)の選挙人票が勝敗を左右したため、同州の結果が注目されました。フロリダでは投票用紙の設計(有名な“バタフライ・ボールト”問題)や、パンチカード式投票での「ハンギング・チャド(未完全に抜けた穴)」や「ディンプルド・チャド(押し込まれたが穴が抜けない)」などの問題が多数発生し、手作業による再集計が行われました。郡ごとに再集計の方式や基準が異なったため、最終的な勝者をめぐる論争は法廷へ持ち込まれることになりました。

選挙後、フロリダ州最高裁は一部の手作業による再集計を命じましたが、両キャンペーンは連邦裁判所へ訴えを起こし、最終的に事件は連邦最高裁判所に到達しました。連邦最高裁判所は2000年12月12日に下した判決(いわゆる「ブッシュ対ゴア」事件)で、再集計を中止する判断を示しました。最高裁は多数意見で、再集計が〈平等保護条項(Equal Protection Clause)〉に違反するとして、州が統一的な基準を設けずに再集計を進めることは許されないと述べ、かつ州の期日までに憲法に合致する再集計を完了させることは不可能であると結論づけました。この判決により、事実上フロリダの票がブッシュに確定され、ブッシュの勝利が確定しました。

判決の影響とその後

この最高裁判決は非常に物議を醸し、判決の妥当性や裁判所の関与の是非について長く議論が続きました。多くの論者は、判決が政治的であると批判し、対して支持者は法的な期限と手続きの整合性を重視する立場を示しました。選挙の直後には抗議や疑念が広がり、選挙制度や投票方法の不備が改めて注目されました。

長期的には、この一連の出来事を受けて投票制度の近代化と信頼性向上を目的とした法整備が進みました。代表的なものとして、連邦レベルでの選挙管理の改善を目的とした2002年のHelp America Vote Act(HAVA)などが制定され、投票機器の更新、選挙人名簿の整備、投票所職員の訓練などが進められました。

最終的にゴアは最高裁判決を受けて異議を取り下げ、ブッシュは2001年1月20日に第43代アメリカ合衆国大統領として就任しました。2000年選挙は、近代アメリカ史における選挙制度、法的解釈、そして民主的正統性に関する重要な論点を残す出来事として記憶されています。