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350年(ユリウス暦の平年)

350年(CCCL)の概要。ローマ帝国における政治的動揺、中国北部の権力闘争、4世紀半ばの文化・宗教面における広範な展開を扱う。

概要

350年(CCCL)は4世紀半ばに当たり、ユリウス暦では月曜日に始まる平年として記録されている。この年は複数の地域で急速な政治的変化が見られた時期であった。ローマ帝国西方の属州では軍事的な簒奪と政権交代が起こり、中国北部では短命な国家の終焉と地方軍閥の台頭が見られた。また、宗教上の論争はローマ世界の諸制度を引き続き形作っていた。暦の表記については、CCCLおよびユリウス暦を参照。

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主な出来事

350年の混乱は、いくつかの重要な展開に示されている。

  • ローマ帝国:西ローマの将軍が反乱を起こし、ガリアとブリタンニアの属州で権力を掌握して、在位中の西方皇帝を打倒した。これに対して複数の対立する僭称者が現れ、短命な簒奪者が短期間ローマを支配した一方、イリュリクムの司令官がバルカン半島で現地の軍勢により皇帝として推戴された。東方皇帝は外交的・軍事的にこれらの脅威へ対応し、後年のさらなる紛争の舞台が整えられた。
  • 中国北部と五胡十六国:一地方政権の崩壊と激しい権力闘争は、新たな政体の出現につながった。支配層に対する軍事行動のさなか、一軍事指導者が中国北部に短期間存続する国家を建てた。これらの出来事は、大規模な人口移動と民族間の緊張に寄与した。
  • 国境地帯とペルシア:ローマ・ペルシア国境における緊張は継続し、ササン朝の君主のもとで断続的な侵入と外交工作が行われ、ローマの東方政策を方向づけた。

宗教・社会・文化

キリスト教内部の宗教論争は依然として大きな意味を持っていた。アリウス派論争と司教権威をめぐる争いは、帝国政治と地方政治に引き続き影響を及ぼした。司教と公会議は公共問題において重要な重みを有し、神学上の対立は王朝間および軍事上の紛争と重なり合っていた。

意義とその後

350年の出来事は帝国の分裂を解消せず、むしろその後数年間を支配する軍事的対決と政治的分裂を激化させた。東アジアでは、この年の動乱が、長期にわたる分裂の時代における民族的・領域的境界の変動に寄与した。350年の諸展開は総じて、統治、宗教、地域権力における4世紀のより広範な移行の一部を示している。

注目すべき事項

  • この年はローマ数字でCCCLと表記されるのが一般的である。
  • 同時代の年代記作者や後世の歴史家は、この時期を安定した継承の時代というより、簒奪と短命な政権が繰り返された時代として扱うことが多い。

関連項目

著者

AlegsaOnline.com 350年(ユリウス暦の平年)

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