トーマス・ウェントワース・"トム"・ウィルズ(Thomas Wentworth "Tom" Wills、1835年8月19日 - 1880年5月3日)は、オーストラリアの万能スポーツマンであり、オーストラリアン・フットボールの創始に大きく貢献した人物です。選手としては特にクリケットで名声を博し、また若い選手たちに向けてスポーツの指導やルール作りにも関わりました。
生い立ちと初期
ウィルズはオーストラリアのニューサウスウェールズ州南東部、グンダガイ(Gundagai)かクアンビヤン(Queanbeyan)の近くで生まれたとされています。幼少期は広い自然の中で育ち、近隣に住む先住民族と交流を持ちながら育ちました。
イギリス留学とスポーツ経験
14歳のときにイギリスへ渡り、有名なラグビー校(Rugby School)に学びました。学校ではラグビーフットボールとクリケットの両方で活躍し、イングランドでの最後の年には学校の代表チームで主要な役割を担いました。帰国後は優れたクリケット選手として知られるようになり、当時のスポーツ誌にも有望な若手として取り上げられました。
オーストラリアン・フットボールの創始
1850年代末、ウィルズは仲間とともに冬季にクリケット選手が体力を維持するための屋外球技のルール作りを始めました。1859年には、ラグビー、サッカー、ゲール語のサッカーを参考にしながら、新しい競技の基本的なルールをまとめました。彼の提案や草案は、いとこのヘンリー・コールドン・ハリソン、W.J.ハマーズリー、J.B.トンプソンらと共同でまとめられ、この競技はやがて現代のオーストラリアンルールズフットボールとなっています。ウィルズは「クリケット選手を冬季に鍛えるためのゲーム」を掲げ、プレーの流動性やハイマーク(高く跳んでボールをキャッチするプレー)など、オーストラリアン・フットボールの特色となる要素を導入するのに貢献しました。
先住民族との交流と「マルングルック」論争
ウィルズは幼少期に周囲のオーストラリアの先住民族と親しく過ごし、その言葉を覚え、子どもたちと一緒に遊んでいた記録があります。このことから、オーストラリアン・ルールズ・フットボールの起源に関して、先住民族の伝統的な球技マルン・グルック(またはマルングルック)が影響を与えたのではないかとする説が長く議論されています。研究者の間では意見が分かれており、ウィルズ自身のルール形成に先住民族の遊びがどの程度影響したかは明確に結論が出ていませんが、彼の幼少期の経験が少なからず創作の背景にあった可能性は高いと考えられています。
晩年・死と遺産
ウィルズは選手としての輝かしい時期を過ぎると、私生活で困難を抱えるようになりました。晩年はアルコール依存症に苦しんだと伝えられており、1880年5月3日にメルボルンで胸を刺して(心臓を刺す)亡くなりました。彼の死は一般に自殺と見なされています。
トム・ウィルズは、オーストラリアン・ルールズ・フットボールの重要な創始者の一人として今も広く記憶されており、競技の歴史や文化を語る際に欠かせない人物です。彼の生涯は、スポーツ界での成功と個人的な悲劇が交錯する物語として今日まで語り継がれています。

