ハーシー=チェイス実験とは:DNAが遺伝物質であることを証明した1952年の研究
ハーシー=チェイス実験(1952)でDNAが遺伝物質と証明された歴史的研究を、背景・手法・意義までわかりやすく解説。
ハーシー・チェイス実験とは、1952年にアルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスが始めた一連の実験である。
この実験は、1868年から69年にかけて、スイスの医師フリードリッヒ・ミッシャーが白血球の実験で発見したDNAが、生物の遺伝物質であることを確認するものであった。ハーシーは、「ウイルスの遺伝的構造に関する発見」で1969年のノーベル生理学・医学賞を受賞している。
背景
20世紀前半まで、生物の遺伝情報がタンパク質か核酸(DNA)かは大きな論争点だった。1944年のエイブリーら(Avery, MacLeod, McCarty)の研究は、肺炎双球菌を使ってDNAが形質転換因子であることを示し、DNAの重要性を示唆したものの、当時はタンパク質を遺伝物質と考える研究者も多かった。ハーシーとチェイスの実験は、この議論に対してさらに明確で簡潔な証拠を与え、ウイルスと細菌の関係を利用してDNAが遺伝情報の担い手であることを直接的に示した。
実験の概要と方法
ハーシーとチェイスが用いたモデルは、バクテリオファージ(細菌に感染するウイルス)T2である。T2ファージはタンパク質の殻(キャプシド)と内部にDNAを持つ単純な構造をしているため、遺伝物質の所在を調べるのに適していた。実験の主なアイデアは、ファージのタンパク質とDNAをそれぞれ別々に放射性同位体で標識し、どちらが細菌の内部に入って感染を引き起こすかを調べることだった。
具体的な手順は次の通り:
- タンパク質を標識:放射性硫黄35(35S)を用いる。硫黄はアミノ酸のメチオニンやシステインに含まれるが、DNAには硫黄が含まれないため、35Sはタンパク質のみを標識するのに適している。
- DNAを標識:放射性リン32(32P)を用いる。リンはDNAの骨格(リン酸)に存在するため、32PはDNAを特異的に標識する。
- 標識したファージを大腸菌に感染させ、一定時間後にブレンダー(攪拌器)でファージの殻を細菌表面からはがす(“ブレンダー実験”)。
- 遠心分離により、菌体(沈殿)とファージの殻や遊離成分(上清)に分け、それぞれの放射能を測定する。
結果と解釈
実験の結果、32P(DNA標識)は主に細菌の沈殿(ペレット)側に検出されたのに対し、35S(タンパク質標識)はほとんどが上清(ファージの殻=“ゴースト”)側に残った。つまり、感染の際にファージのDNAだけが宿主の細菌内部に入り込み、タンパク質殻は外部に残されたということを示した。
この結果からハーシーとチェイスは、遺伝情報を伝える物質はDNAであり、タンパク質ではないと結論づけた。実験は手法が単純で直接的だったため、当時すでに存在したエイブリーらの結果と並んでDNAが遺伝物質であるというコンセンサス形成に大きく寄与した。
意義とその後の影響
ハーシー=チェイス実験は分子生物学史上の重要な転換点の一つで、DNAが遺伝物質であるという考えの普及を決定づけた。これに続き、1953年のワトソンとクリックによるDNA二重らせん構造の提唱や、その後の遺伝子複製・転写・翻訳の研究が急速に進展した。
実験を主導したアルフレッド・ハーシーは、1969年に
ウイルスの遺伝的構造に関する発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した(この賞はマックス・デルブリュックやサルバドール・ルリアと共有された)。マーサ・チェイスは当時の共同研究者であり、実験の実施に大きく貢献したが、ノーベル賞は共同受賞には至らなかった。補足と評価
ハーシー=チェイス実験は非常に示唆力のある結果を出したが、完全な決着は他の多くの実験結果と合わせて生まれた点に注意が必要である。例えば、エイブリーらの形質転換実験や、後の分子構造決定の成果が総合されることで、DNAが遺伝物質であるという理解が確立していった。
現在では、ハーシー=チェイス実験は分子生物学の教育でも代表的な実験として取り上げられ、遺伝情報の本質を学ぶうえで重要な歴史的実験として位置づけられている。

実験の様子
メソッド
ハーシーとチェイスが使ったのは、T2ファージというバクテリオファージである。このファージは、細菌に付着してその遺伝物質を注入することで感染する。
彼らは、ファージのDNAを放射性物質「リン32」で標識した。そして、大腸菌に感染したファージを追跡調査しました。その結果、ファージのDNAに残っていた放射性元素は細菌にのみ存在し、ファージにはないことがわかった。
二番目の実験では、ハーシーとチェイスはファージのタンパク質に放射性硫黄35のラベルを付けた。ファージがバクテリアに付着した後、放射性元素はファージの中に見いだされたが、バクテリアの中には見いだされなかった。つまり、ファージのタンパク質は細菌の外側にとどまっていたのである。これらの結果から、ハーシーとチェイスは、バクテリアに感染する遺伝物質がDNAであることを突き止めたのである。
質問と回答
Q:ハーシー・チェイス実験を行ったのは誰ですか?
A: ハーシー・チェイス実験は、アルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスによって行われました。
Q: ハーシー・チェイス実験の目的は何でしたか?
A: ハーシー・チェイス実験の目的は、DNAが生物の遺伝物質であることを確認することでした。
Q:ハーシーとチェイスの実験はいつ行われたのですか?
A:ハーシー・チェイス実験は1952年に行われました。
Q:フリードリッヒ・ミーシャーとはどのような人物で、DNAの研究にどのような貢献をしたのですか?
A: フリードリッヒ・ミーシャー(Friedrich Miescher)はスイスの医師で、1868年から69年にかけて白血球の実験でDNAが生物の遺伝物質であることを発見した。
Q: アルフレッド・ハーシーは何に対してノーベル生理学・医学賞を授与されたのですか?
A: アルフレッド・ハーシーは、ウイルスの遺伝的構造に関する発見でノーベル生理学・医学賞を受賞した。
Q: なぜDNAが生物の遺伝物質であることを確認することが重要だったのですか?
A:DNAが生物の遺伝物質であることを確認したことは、遺伝形質がどのように世代から世代へと受け継がれていくのかをより深く理解する上で重要であった。
Q:ハーシーとチェイスの実験によって、DNAが生物の遺伝物質であることがどのように確認されたのですか?
A:ハーシー・チェイス実験は、ウイルスのDNAが細菌細胞に感染し、新しいウイルス粒子を作り出すことを実証することによって、DNAが生物の遺伝物質であることを確認した。
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