概要
原罪は、キリスト教で用いられる神学用語で、創世記の記述における最初の人間の不従順の結果として、すべての人間に及ぶ状態やあり方を指す。そこで中心となるのはアダムとエバと、エデンの園で禁じられた果実を食べるという彼らの決断である。古典的な定式化は、聖書、とくに創世記と、新約聖書の中で罪と死が人間の生活にどのように入ったかを振り返る箇所に基づいている。この教義は、なぜ道徳的失敗と死が普遍的なのか、そして人間が神、道徳的責任、贖いの必要とどのように関わるのかを説明しようとする。
主要な要素と表現
要約の仕方はさまざまだが、原罪には一般に次のような核心的な考えが結びつけられる。
- 人類の祖先による初期の不従順が、人間のあり方を変えたこと。
- 堕落した状態が後の世代へ伝わること(それを受け継がれた罪責、罪への傾き、損なわれた本性などと理解する立場がある)。
- この状態と、人間の死すべき性、弱さ、あるいは悪に向かいやすさとの結びつき。
- 神の恵みと回復の手段、一般に救済と呼ばれるものの必要。
歴史的展開
この教義は教会の初期数世紀のうちに発展し、4世紀後半から5世紀初頭にかけてヒッポのアウグスティヌスによって最も体系的に論じられた。アウグスティヌスは、人間の自由意志を強調し、幼児が祖先から道徳的な罪責を受け継ぐことを否定したペラギウスの教えに対抗して原罪を定式化した。彼によれば、最初の不従順の後の人間のあり方には、欠如と、神の恵みを必要とする堕落した意志の両方が含まれる。
理解の諸相
キリスト教諸伝統は、原罪をどのように説明し、どう応答するかについて異なる。大まかに言えば、次のように整理できる。
- ローマ・カトリック教会は、原罪が人間本性を傷つけ、洗礼が原罪の罪責を除くと考える。またカトリック教会は、(たとえば無原罪の御宿りのように)神が特別な場合に特定の人々をその状態から守ったとする教義も教えている。
- 東方正教会では、最初の罪の結果、すなわち死、腐敗、罪への傾きが強調される傾向があり、しばしば「祖先の罪」という語が用いられる。一般に、西方の一部の説明で用いられる継承された罪責という定式化は避けられる。
- プロテスタント諸伝統は多様である。多くの歴史的な宗教改革者とその後継者は、人間の罪深さの深さ(しばしば全的堕落と呼ばれる)と、神の恵みの必要性を強調した一方、他のプロテスタント諸派はアウグスティヌス的な定式化を修正したり、退けたりした。
実践と神学的含意
この教義は、礼拝、秘跡、牧会に実際的な影響を及ぼす。多くの教会では、原罪と、恵みの共同体への組み入れに関する神学的理由から幼児洗礼が行われる。またこの教義は、贖罪、人間責任、倫理的生活の教えにも関わる。もし人間本性が損なわれているなら、道徳的刷新は、人間の協力であると同時に、何よりも神の働きとして理解される。
現代の視点と論争
現代の神学者や研究者は多様な読みを提示している。原罪を比喩的または社会的に解釈し、体系的な悪や人間の有限性を語る方法とみなす者もいれば、継承された霊的疎外に結びつくより伝統的な理解を維持する者もいる。創世記の記述をどの程度文字どおり、あるいは象徴的に読むべきか、また継承された状態の概念を個人の道徳的責任とどう両立させるかをめぐる議論は続いている。聖書的背景と歴史的論争への入門としては、上に示した一般の参考文献や教派の声明を参照されたい。