バトル・オブ・ブリテンとは、1940年の夏から秋にかけて、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)が英国を攻撃し続けたことである。

この作戦の最初の目的は、イギリス空軍(RAF)、特に戦闘機部隊からイギリス上空の制空権を奪うことであった。

この名前は、ウィンストン・チャーチル首相が下院で行った有名な演説に由来している。「フランスの戦いは終わった。フランスの戦いは終わった。これからはイギリスの戦いが始まるだろう..."

バトル・オブ・ブリテンは、航空部隊だけで戦われた最初の大規模作戦であり、その時点までの最大・最長の空爆作戦でもあった。

概略

バトル・オブ・ブリテンは主に1940年7月から10月にかけて続き、ドイツは英本土上空の制空権を奪うことで、英本土侵攻作戦「シーロン(Operation Sea Lion)」の前提条件を満たそうとした。イギリス側はRAFの防空体制や新しい技術、戦術を用いてこれに抵抗した。最終的にドイツは目標を達成できず、侵攻計画は事実上放棄された。

主要な段階

概ね次のような段階で進行した:

  • チャネル上の戦い(Kanalkampf、6月–7月):英仏海峡や沿岸施設、海上輸送を狙った攻撃が行われた。
  • 空軍基地・航空機生産施設への攻撃(7–8月):RAFの戦闘機群を弱体化させることを目指し、航空基地やレーダー施設、機体工場が標的になった。
  • アドラー作戦(Adlertag、8月初旬の集中攻撃):ドイツが大編隊での攻撃を試みたが、期待した決定的打撃は得られなかった。
  • ロンドンなど都市への爆撃への転換(9月以降):偶発的あるいは報復を理由にロンドン市街を攻撃したことから、攻撃目標が都市へと移り、これがRAFの再建を許す一因となった。

主要人物と兵器

主要な指揮官としては、ドイツ側のヘルマン・ゲーリング(ルフトヴァッフェ最高司令官)と、イギリス側のヒュー・ダウディング(RAFファイター・コマンド司令官)が知られる。RAFの戦闘機としてはスーパーマリン・スピットファイアとホーカー・ハリケーンが中心的役割を果たした。ドイツはメッサーシュミットBf 109などを主力に投入した。

戦術と技術

イギリス側の成功には複数の要因がある。特に次の点が挙げられる:

  • レーダー(チェーン・ホーム)と統合防空網:地上レーダーと観測コーパス、無線を組み合わせた情報収集と管制により、戦闘機を効率的にスクランブルできた。
  • 管制方式(セクター制):戦闘機を小隊単位で迅速に配備する組織化された地上管制により、数で劣る状況でも的確な迎撃が可能だった。
  • 戦術的柔軟性:パーク(No.11 Group指揮官)らの指揮の下、必要に応じて戦力を集中・分散させる運用が行われた。
  • 物資と整備:被弾しても機体の修理と再投入が比較的短時間で行われた点も重要である。

被害と結果

戦闘の結果、両軍ともに大きな損失を出した。ドイツ空軍は多くの戦闘機・爆撃機を失い、人的損耗も無視できない規模に達した。RAFも損害を受けたが、補充と戦術の勝利により英国上空の制空権を保持することができた。これにより、ドイツは英本土侵攻計画を断念する契機となった。

歴史的意義

バトル・オブ・ブリテンは第二次世界大戦における転換点の一つと見なされる。重要な意義は次の通りである:

  • ナチス・ドイツが欧州戦線で初めて決定的な挫折を経験したこと。
  • 航空戦力と防空網の重要性を示し、現代戦における空の優勢の決定的意味を浮き彫りにしたこと。
  • 英国民の士気と国際的な支持を維持・向上させ、連合国側の戦意を支えたこと。チャーチルの演説はその象徴となり、「The Few(ごく少数の者たち)」への賛辞は今も語り継がれる。

記憶と評価

戦闘は映画や文学、記念行事の題材となり、英国や連合国側の抵抗の象徴として記憶されている。一方で、戦術的な評価や決定の是非、例えば「ビッグ・ウィング」戦術を巡る論争など、研究者や当事者間での議論も続いている。

総じて、バトル・オブ・ブリテンは単なる空戦の勝敗を超え、戦争全体の帰趨に影響を与えた歴史的出来事として広く認識されている。