アメリカ合衆国憲法修正第12条(修正第12条)は、1803年12月9日に議会で可決され、1804年6月15日に各州議会で批准されて成立した修正条項です。この修正条項は、大統領と副大統領を選出するための手続きを改め、選挙人団(Electoral College)の投票方法を現在の形式に変更しました。改正前は、選挙人団の各メンバーが同じ票で2人の候補者に投票し、最多得票者が大統領、次点が副大統領となる仕組みでした。修正第12条により、選挙人は大統領に対する票と副大統領に対する票を別々に投じることになり、これが両職への同党候補の「票の分裂」や同票による混乱を防ぐことを目的としています。
背景 — なぜ改正が必要だったか
18世紀末から19世紀初頭にかけての政党形成により、候補者が党の「チーム」として出馬するケースが増えたことが、旧制度の不都合を露呈させました。特に1800年の選挙では、トーマス・ジェファーソンと同僚のアーロン・バーが選挙人の票で同数となり、大統領選は下院での決選投票(contingent election)へ持ち込まれました。この混乱を受けて、議会は選挙制度の明確化を図るために修正第12条を提案しました。
主な内容(要点の整理)
- 選挙人は、大統領に対して1票、副大統領に対して別個の1票を投じる。
- 選挙人は自州と同一州に居住する両候補者に同時に投票してはならない(少なくとも1人は自州出身でない者である必要がある)。
- 投票結果は各州から封印された一覧表として作成され、上院議長(副大統領)がそれらの開封と集計を行う。
- 大統領候補が過半数の選挙人票を得られない場合、下院が直ちに選挙を行い、選挙人票上位3名の中から大統領を選ぶ。下院では各州代表団が1票を行使する方式で決定される。
- 副大統領について過半数が得られない場合は、上院が上位2名の中から副大統領を選出する。
適用例と歴史的影響
修正第12条は1804年当初の大統領選から適用されました。改正後も非常事態や多候補による過半数未満の事態は起こり、1824年の選挙では候補者が多数に分かれたため下院が決選投票を行い、ジョン・クインシー・アダムズが大統領に選出されました(このときは修正第12条に基づく手続きが用いられました)。
現代的な評価と課題
修正第12条は、政党制の下での混乱を抑え、同党の大統領・副大統領候補が票を分裂させることを防ぐという役割を果たしました。しかし、選挙人団そのものや、下院での「州代表団1票」方式については現代でも賛否が分かれます。例えば、選挙人の信義則(faithless electors)や州ごとの勝者総取り方式(winner-take-all)との関係、少数州の影響力といった問題は依然として議論の対象です。
まとめ
修正第12条は、選挙人団による大統領・副大統領選出の制度を党制下の現実に合わせて改変した重要な改正です。選挙人の投票を「大統領用」と「副大統領用」に分けることで、同票や混乱のリスクを減らしましたが、選挙人団制度そのものの是非や、下院・上院による決選手続きの在り方については現在も議論が続いています。