西部軍(北軍)は、アメリカ南北戦争の西部劇場に所属する北軍の部隊編成の一つで、主にミズーリ州内で活動した。編成は比較的小規模で、わずか4個旅団で構成されていた。結成は1861年5月10日のキャンプ・ジャクソン事件の直後にあたり、ミズーリにおける連邦の支配確保と南部派勢力の排除を目的として組織された。

編成と目的

この西部軍は、常備軍と志願兵(州兵や民兵を含む)を混成した部隊で、主にセントルイス周辺および州内主要都市の防衛、補給路の確保、南軍または親南派勢力の鎮圧にあたった。兵力は数千人規模とされ、機動力を重視した小規模な旅団編成で迅速に行動できるように設計されていた。

指揮官と主要作戦

部隊の指揮は、当初からナサニエル・ライオン准将が執っていた。ライオン准将はミズーリの戦略的重要性を重視し、強硬な手法で州内の親南派勢力を抑え込もうとした。1861年5月のキャンプ・ジャクソン事件では、ライオンの指揮下で親南派民兵の包囲・投降を実施し、その後の市民暴動や混乱を受けて軍事行動を拡大した。

ウィルソンズ・クリークの戦いとその影響

西部軍は1861年8月10日に発生したウィルソンズ・クリークの戦いで重要な戦闘に参加した。この戦闘でライオン准将は前線に立って指揮を執り、激戦の最中に戦死した。ライオンの戦死はミズーリにおける北軍の指導力に大きな影響を与え、戦略的にも士気面でも打撃となった。

終結と再編成

西部軍は短命で、結成からわずか数か月後の1861年8月19日に解散・再編成された。解散後の兵力や部隊は他の北軍編成や地方軍管区(Department)へ吸収され、ミズーリの防衛は継続して行われた。ライオンの行動はミズーリを連邦側に留める決定的要因の一つと評価される一方で、その強硬な手法は論争を呼んだ。

概して、西部軍は短い活動期間ながらミズーリ州の情勢に直接的な影響を与えた部隊であり、1861年初期の西部戦線における重要な事例の一つとされている。