ホームズ・スターリング・モリソンJr.(1942年8月28日生まれ、1995年8月30日没)は、ベルベット・アンダーグラウンドの創設メンバーとして知られるアメリカのミュージシャン(ギター)です。控えめながら確かな存在感を持つプレイで、バンドの音楽的骨格を支えました。
モリソンは大学時代にギターを弾いていたルー・リードと知り合い、後に二人はニューヨークで再会しました。リードはジョン・ケイルとコラボレートしており、モリソンは彼らのジャム・セッションに参加して三人で演奏を始めたことがバンド結成の直接のきっかけになりました。バンド名「ベルベット・アンダーグラウンド」は、大学時代の友人ジム・タッカーが持ってきたある本のタイトルに由来し、タッカーの妹モーリーンがバンドのドラマーに加わることでラインナップが整いました。
モリソンは当初からリード・ギターやギターの役割にとどまらず、リズム・ギター、ベース・ギター、バッキング・ヴォーカルを担当していました。バンド内の人員交代があり、ジョン・ケイルに代わってダグ・ユールが加入した後は、モリソンがより多くのリード・パートを担う場面が増えました。スタイルとしては派手なソロよりも楽曲を支えるための的確で洗練されたフレーズを好み、ルー・リードの歌やジョン・ケイルのヴィオラ/鍵盤と絶妙に絡むプレイで知られました。モリソンとユールの間には音楽的・個人的な緊張があった時期もあり、それがバンド内の雰囲気に影響を及ぼすこともありました。
ヴェルヴェッツは批評的評価や影響力が大きかった一方で、商業的な成功は限定的で、モリソンはバンドの将来に不安を抱くようになりました。彼はヴェルヴェッツ結成前に大学を中退していたものの、1970年にニューヨークのシティ・カレッジに戻り、英語の学士号を取得し、その間、バンドはニューヨークのレストラン兼バー「マックスズ・カンザスシティ」での演奏などで活動を続けました。学業に戻ったことは彼にとって安定した生活への道でもありました。
1970年にルー・リードがバンドを脱退した後も、モリソンは残されたメンバーとともにツアーを続けたものの、将来について考えを深めていきました。彼は音楽活動と並行して教師や教授として働く道を探し、複数の教育機関に履歴書を送っていました。バンドがテキサスを訪れた時、彼はテキサスA&M大学に電話をかけ、彼らが彼を教職に就かせようとしていると知らされます。こうして彼はバンドを辞し、1970年代から1980年代にかけて大学で教壇に立ち、学生たちに英語や文学を教えました。
音楽家としての活動はその後も続き、モリソンは一時期ニューヨークに戻ってタグボートの船長として海上で働くなど多彩な経歴を重ねました。1990年代にはヴェルヴェッツと再結成し、ヨーロッパやアメリカで公演を行って旧友たちと音楽を再び共有しました。
1995年、モリソンは体調を崩して病院で診察を受けたところ、リンパ腫という癌の一種であることが判明しました。診断からわずか数週間後に亡くなり、早すぎる別れとなりました。モリソンの死後、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはその影響力を再評価され、やがてロックンロールの殿堂入りを果たすことになります。
音楽的特徴と評価: モリソンのギターは派手さよりも楽曲のムードを作ることに重きを置き、ルー・リードのリリックやジョン・ケイルの前衛的なアプローチを受け止める「支柱」としての役割が大きかったと言えます。彼のリズム感とコードワークはバンドの粗削りな美学を支え、多くの後続ミュージシャンに影響を与えました。
遺産: モリソンは演奏家・教育者・船長という多面的な人生を送りましたが、音楽史における彼の位置は確固たるものです。録音やライブで残した演奏は、現在でもベルベット・アンダーグラウンドの音を理解するうえで欠かせない要素とされています。