ストローム・サーモンド
ジェームズ・ストロム・サーモンド(James Strom Thurmond、1902年12月5日 - 2003年6月26日)は、アメリカの政治家である。アメリカ合衆国上院の議員としては現在までの最高齢で、在任中に100歳を迎えた唯一の上院議員である。また、故郷のサウスカロライナ州知事や大統領候補者でもあった。弁護士であった。
サーモンドは、70年以上の生涯を公職に就いた。第二次世界大戦前は、州の上院議員や判事を務めた。戦時中は、米軍としてヨーロッパに駐留し、短期間アジアにも派遣された。1960年、少将に昇進した。
幼少期
サーモンドは1902年12月5日、サウスカロライナ州エッジフィールドで生まれた。サウスカロライナ州のクレムソン農業大学で学ぶ。1923年に卒業。1947年から1960年にかけてジーン・クラウチと結婚し、1960年に離婚した。その後、1968年から2003年に亡くなるまで、ナンシー・ムーアと結婚していた。5人の子供がいる。
キャリア
1947年から1951年まで、サウスカロライナ州知事(民主党)を務める。1948年のアメリカ大統領選挙では、人種隔離を支持し公民権法に反対する「ディキスクラット」(States Rights Democrat、主に南部の人々)と呼ばれる民主党の一派の大統領候補となった。サーモンドは、副大統領候補のミシシッピ州知事フィールディング・ルイス・ライトとともに、選挙人票39人を獲得して第3位(ハリー・トルーマン、トーマス・E・デューイに次ぐ)となり、4州(アラバマ、ルイジアナ、ミシシッピと、もちろんサーモンドの故郷)を制覇した。
1954年、上院議員に主要国政選挙の筆頭候補として初当選。1956年に再選され、2003年1月までフルタイムで務めた。当初は民主党だったが、1964年にバリー・ゴールドウォーターの大統領選出馬を公然と支持し、共和党に転身した。
その後の経歴
共和党の最長老として、共和党が多数を占めた1981年から1987年、1995年から2001年、2001年1月から6月の3回、合衆国上院の臨時議長に就任している。2001年6月に民主党が上院の主導権を握ると、サーモンドは初の名誉「名誉臨時大統領」に就任した。
長寿命化
サーモンドは在任中の2002年12月5日に100歳を迎え、米国上院議員としては最高齢の人物となった。
当初は人種統合に反対していたが、晩年は人種差別撤廃を支持した。
2006年には、長年のライバルであったロバート・バード(ウエストバージニア州)がサーモンドの議員在職年数の記録を抜いた。バードは2010年に死去した。
サーモンド氏100歳の誕生日祝いにて(2002年12月
エッシー・メイ・ワシントン=ウィリアムズ
2003年にサーモンドが亡くなった後、彼の家族のための弁護士が、サーモンドが22歳だった1925年に、彼の家の家政婦で当時16歳だったキャシー・バトラーと混血の娘、エッシー・メイ・ワシントン=ウィリアムスをもうけたことを確認した。サーモンドは娘の大学進学の費用を負担し、その他の支援も行った。ワシントン=ウィリアムズは2013年2月に87歳で死去した。
デス
サーモンドは、2003年6月26日午後9時45分、心不全のためサウスカロライナ州エッジフィールドの病院で眠るように息を引き取った。100歳であった。ジョー・バイデン上院議員(当時)が弔辞を述べ、その後、エッジフィールドのウィローブルック墓地の家族葬の区画に埋葬された。