概要

フィッシュバーンは、一般にファースト・フリートと呼ばれる遠征で補給船として役割を果たした。主な任務は囚人の輸送ではなく、流刑植民地の建設に必要な食糧、装備、その他の物資を運ぶことだった。ファースト・フリートの航海では、囚人、護送要員、さらに兵士のような支援要員が、現在のオーストラリアへ向かい、新しい流刑植民地を築き、永続的なヨーロッパ人入植を始めることになった。

建造と特徴

フィッシュバーンは1780年にホイットビーで建造され、約378トン(積載量)とされた。同時代の記録では、長さは約94ft、幅は26ftとされ、これはしばしば長さ約29m、幅約8mとして表される。船は民間商人の所有で、英国政府との契約にもとづいてこの航海に従事し、デプトフォードへ戻るまで、1トンあたり月10シリングの率で支払いが行われる取り決めだった。往路と復路の船長はロバート・ブラウン船長であった。

ファースト・フリートでの役割と往路

ファースト・フリートは1787年5月にイングランドを出発し、1788年1月にポート・ジャクソンへ到着した。往路と到着後におけるフィッシュバーンの任務は、食料、工具、種子、建材、その他の必需品といった備蓄を運び、それを保管することだった。これらは、脆弱で小規模な入植地が最初の数か月をしのぐために不可欠だった。補給船としてのフィッシュバーンは輸送船や海軍の護衛艦とともに働き、植民地が菜園、仮設住居、防衛態勢を整える間に、生存に欠かせない物資を荷下ろしし、分配した。

帰路とその後

ポート・ジャクソンで数か月を過ごした後、フィッシュバーンは1788年11月にゴールデン・グローヴなどの船とともに出発し、イングランドへ戻った。帰路では、病気の船員の手当てと補給のために、フォークランド諸島へ短時間寄港した。記録によれば、フィッシュバーンは1789年5月25日にデプトフォードで所有者へ返還された。それ以後の正式な引き渡しと政府契約の終了ののち、同時代の記録には、その後の経歴についてほとんど追加情報が残っていない。

意義と注目点

  • フィッシュバーンは、オーストラリアにおける持続的なヨーロッパ人入植の始まりを示す航海に参加した小規模艦隊の一隻だった。
  • 補給船としての役割は、囚人輸送船とは異なる。彼女は主として収容ではなく補給を担う、後方支援の船であった。
  • フィッシュバーンのような船に対する金銭契約――従事期間中はトン数に応じて支払う方式――は、商船所有者と政府が植民地遠征のために海上支援をどのように契約したかを示している。

遺産

フィッシュバーン自体は1789年以降の記録がわずかしか残っていないが、同種の任務を担った船は、遠隔地の植民地の成否にとって中心的存在だった。彼女が運んだ物資と航行の時期は、ありふれた事務的な細部に見えるかもしれないが、最初の入植者の生存と、ポート・ジャクソンでの植民地初期の発展に直接影響を及ぼした。

ファースト・フリートに関する資料や植民地創設の総説は、個々の船、乗組員、そしてこの形成的な航海を支えた契約関係をたどる出発点として、今なお最良の手がかりである。