1848年2月、フランスで起きた革命は、ルイ・フィリップ王の治世を終わらせ、フランス第二共和制(1848-1852)を誕生させるきっかけとなった。

革命は「働く権利」(droit au travail)の原則を確立し、失業者のための「国立労働組合」の設立を決定した。同時に、ルイ・ブランの主宰するリュクサンブール宮殿に、一種の産業議会が設立された。リベラルなオルレアン派と急進的な共和党、社会党の間の緊張は、数ヵ月後に6月の日の蜂起を引き起こすことになる。

一方、この革命は他のヨーロッパの1848年革命に影響を与えた。

背景(原因)

1840年代半ば、フランスは不況と食糧不足、工業地帯での失業増大、そして政治的閉塞に直面していました。七月王政(1830–1848)下の政治は富裕な中産階級に偏り、選挙制度も制限されていたため、労働者や共和主義者、社会改革を求める声が高まっていました。こうした経済的・社会的不満が、都市部を中心に急激に大規模な政治運動へと発展しました。

革命の経過(2月の出来事)

1848年2月22日から24日にかけての「二月の日」には、パリでの大規模なデモと衝突が発生し、政府は治安維持に失敗しました。2月24日、ルイ=フィリップは退位し、王政は事実上終焉しました。同日、国民議会は臨時政府(プロヴィゾワール)を樹立し、これがやがて第二共和制の基礎となりました。臨時政府にはラマルティーヌ、ルイ・ブラン、レドゥ=ロランらが名を連ね、彼らは社会的・政治的改革を約束しました。

主要な政策と制度

  • 普遍男子参政権の導入:臨時政府は成年男子の普遍的な投票権を支持し、後の選挙で実施されました。これにより、政治参加の枠が大きく広がりました。
  • 働く権利(droit au travail):政府は「働く権利」を原則として掲げ、失業対策として国が仕事を提供することを約束しました。
  • 国立労働組合(国立工場=Ateliers nationaux)の創設:失業者に仕事を与えるために国立の作業所が設けられました。これらは特にパリで大規模に運営され、短期的な雇用創出を狙ったものでした。
  • リュクサンブール宮殿の委員会(ルイ・ブランの関与):社会問題を検討するため、ルイ・ブランらが関与する委員会が設置され、労働と生産の協同組合的な解決策を探りました(いわゆる「リュクサンブール委員会」)。

6月蜂起(ジュン・デイズ)とその鎮圧

国立労働組合は急速に財政負担となり、臨時政府あるいは後の政府はこれを縮小・閉鎖する決定を下します。これに反発したパリの労働者は1848年6月23日から26日にかけて蜂起(6月暴動)を起こしました。政府は武力で鎮圧し、将軍ルイ=ナポレオン・カヴァニャック(ジュール・カヴァニャック)が治安維持の中心的役割を果たしました。蜂起の犠牲は多く、労働者側の政治勢力は大きく弱体化しました。

結末と長期的影響

6月の鎮圧は社会主義的・急進的勢力の排除を招き、政治は保守化しました。1848年末にはルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)が大統領に選出され、1851年のクーデターを経て1852年には第二帝政が成立します。第二共和制は短命に終わりましたが、次の点で重要な遺産を残しました:

  • 普遍男子参政権の実現(少なくとも一時的に)
  • 「働く権利」概念の公的承認と、国家による雇用対策の試み(国立労働組合)
  • 都市労働者の組織化と政治的意識の高揚
  • 1848年の動きが引き金となり、ヨーロッパ各地で同年に相次いだ革命運動に影響を与えた点(自由・国民主義・社会改革の波及)

歴史的評価

1848年二月革命は、即時には短期的な成功と挫折をともなう出来事でした。社会改革の理想と国家運営の現実(財政や秩序維持)の間で大きな矛盾が生じ、急進的改革は6月に挫折します。それでも、この期間に打ち出された「働く権利」や普遍選挙の原則は、以降の政治・社会運動に長期的な影響を与えました。また、フランスでの出来事は他国の1848年革命とも連動し、19世紀半ばの欧州における政治的転換の一端を担いました。