サウスマウンテンの戦いは、1862年9月14日、メリーランド州のサウスマウンテンで、南軍と北軍の間で戦われたものである。サウスマウンテンの戦いは非常に重要な戦いであった。それはポトマック川の北で戦われた最初の大きな戦いであった。南軍による最初のアメリカ北部への侵攻であった。また、ロバート・E・リー将軍率いる南部連合軍が敗北し引き返したのは、アンティータムではなくここであった。日間にわたる激戦は、山を貫く3つの峠の支配権をめぐって繰り広げられた。クランプトンズ・ギャップ、ターナーズ・ギャップ、フォックスズ・ギャップである。
背景
この戦闘は、リー将軍が1862年9月に実行した「メリーランド方面作戦(マサチューセッツ作戦)」の一環である。リーは北部への侵攻により戦局を有利にし、北側の士気を挫き、外国の干渉を促すことを狙った。機密文書(通称「スペシャル・オーダー191」)が北軍の手に渡ったことで、北軍総司令官ジョージ・B・マクレランは南軍の分散を知り、迅速に追撃した。
指揮官と部隊
- 北軍(連邦):陸軍総司令官はジョージ・B・マクレラン将軍、戦場では複数の軍団・師団が峠への攻撃に参加した。
- 南軍(連合):ロバート・E・リー将軍の指揮下で、局地的にはD.H.ヒルなど現地指揮官が峠を防衛した。
いずれの側も正面からの正規戦力に加え、険しい地形を利用した守備や山道を通じた機動を余儀なくされた。
戦闘の経過
戦闘は午前中から始まり、三つの主要な峠でほぼ同時に衝突が発生した。クランプトンズ・ギャップでは北軍の攻撃が南軍の防御を押し戻し、ターナーズ・ギャップとフォックスズ・ギャップでも激しい戦闘が続いた。特にフォックスズ・ギャップでは白兵戦に近い激闘があり、南軍側からは若い将校サミュエル・ガーランド少将(Brig. Gen. Samuel Garland Jr.)が戦傷を負って後に戦死するなどの損失が出た。
地形は戦闘の焦点となり、峠の高所をめぐる攻防が勝敗を分けた。最終的に北軍は峠を占領することに成功し、南軍は縮退して後方へ退いた。
結果と意義
サウスマウンテンの戦いは北軍の戦術的勝利だったとされる。北軍が山の主要な峠を奪回したことで、リー軍はメリーランド州内での分散した作戦を断念して南へ退却し、対陣の場をシャープスバーグ(アンティータム)に移すことになった。しかし、マクレランの慎重な行動と追撃の遅れにより、リー軍を壊滅させる機会は逸された。
被害は双方でかなりの規模に及び、両軍合わせて数千人の死傷者が出たとされる。戦術的には北軍の成功であったが、戦略的にはアンティータムの戦いへとつながる重要な前哨戦となり、後にあの戦いが南北戦争における転換点の一つと評価される背景を作った。
遺産と保存
サウスマウンテンの戦場は現在も記念碑や保存地域が残り、歴史散策や記念行事が行われている。近隣のアンティータム国立戦場と合わせて訪れることで、1862年秋のメリーランド方面作戦の全貌を理解しやすくなる。ハイキング・トレイルや解説板が整備されており、戦場の地形と戦闘の激しさを体感できる場所となっている。
要点まとめ:
- 日付:1862年9月14日
- 場所:メリーランド州サウスマウンテン(クランプトンズ、ターナーズ、フォックスズ各ギャップ)
- 意義:北軍による峠奪回は戦術的勝利であり、リー軍をアンティータムへ退かせる契機となった
- 結果:両軍に多数の死傷者。アンティータムの戦いへとつながる重要な前哨戦


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