西暦37年:ティベリウスの死去とカリグラの即位
西暦37年は、ティベリウス帝の死去とガイウス(カリグラ)の継承で知られるユリウス暦の平年である。ローマではプロクルスとポンティウスの執政官年とも記録された。
西暦37年は、西暦1世紀の37年目に当たる。ローマでは、年を数字で表すよりも在任中の執政官の名で呼ぶことが多く、西暦37年はプロクルスとポンティウスの執政官年とされた。現代の文献では一般に西暦紀元が用いられる。この年はユリウス暦で火曜日に始まる平年であり、この点は帝政初期の年代復元にも残されている。37年とローマ年代学におけるその位置づけは、初期プリンキパトゥスの研究でしばしば論じられる。
ローマ帝国における政治的変化
西暦37年の最も重大な出来事は、ティベリウス帝の死去と、その大甥で養孫でもあったガイウス、すなわちカリグラとしてよく知られる人物の継承であった。ティベリウスは3月中旬、伝統的には3月16日に死去し、その死によって西暦14年に始まった統治は終わりを迎えた。新皇帝は多くのローマ人に歓迎され、即位は一時的な民衆の楽観をもたらしたが、その統治は後に専制的な行き過ぎで悪名高いものとなった。この交代は、1世紀初頭における帝権の性格の変化を理解するうえで中心的である。ティベリウスとカリグラは、この時期を考える際の重要人物であり続けている。
年代、暦と行政
ローマ人は通常、在任する2人の執政官の名を冠して年を呼んだ。現存する史料では、この年の執政官はプロクルスとポンティウスであったと記録されている。この執政官年による紀年は、君主の在位年による紀年や天文的な計算と併存した。紀元前45年にユリウス・カエサルが導入したユリウス暦は帝国全域でなお使用されており、ローマの日付を西暦紀元へ換算する現代的枠組みを提供している。暦法の復元については、ユリウス暦に関する一般的な解説を参照されたい。
地域的背景とより広い意義
ローマ以外では、西暦37年は帝国行政と属州統治が強化されつつあった時期に位置する。この年の個別の属州で起きた出来事についての記録は乏しいが、皇帝の交代は帝国全域における任命、恩恵、政策の変化を引き起こしえた。より広い文化的・宗教的観点では、西暦30年代はキリスト教の初期史をはじめ、正確な年代について研究者の議論がある諸運動の背景の一部をなしている。
主な事実と史料研究
- 西暦37年は、皇位継承が起きたことにより、ユリウス=クラウディウス朝における明確な転換点となった。
- 同時代に関する記述は、主としてティベリウスとカリグラの評価を形作った後世の歴史家に由来するため、その描写は批判的に読む必要がある。
- この年に関わる一次史料・二次史料については、帝政初期ローマの概説を参照されたい。追加資料
要するに、西暦37年は主として、一人の皇帝の死去と別の皇帝の登場によって記憶される。この出来事はローマの政治力学を方向づけ、その後長年にわたり属州行政にも影響を及ぼした。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 西暦37年:ティベリウスの死去とカリグラの即位 Leandro Alegsa
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