紀元5年(西暦5年)概要:カレンダーとローマ執政(メッサーラとシナ)
紀元5年(西暦5年)のカレンダーとローマ執政メッサーラ&シナによる政治背景を分かりやすく解説。年表・重要出来事・暦の比較で当時を読み解く。
5(V)は、木曜日から始まったユリウス暦の通年です。グレゴリオ暦では、土曜日から始まった。メッサーラとシナの執政の年として知られる。1世紀の5年目である。
ローマ数字が1つだけ使われている7つの年のうちの1つである。その7つとは、AD1年(I)、AD5年(V)、AD10年(X)、AD50年(L)、AD100年(C)、AD500年(D)、AD1000年(M)である。
暦の特徴
AD 5は通年(365日)の年で、ユリウス暦では木曜日に始まりました。現代で用いられるグレゴリオ暦に当てはめると、この年は土曜日に始まります(いわゆるプロレプティブ=遡及的に適用したグレゴリオ暦での計算)。ユリウス暦は4年ごとに閏年を置く規則を基本とする暦で、この年は閏年ではありません。
ローマの執政(コンスル)による年名
古代ローマでは年を執政官の名で表す慣習があり、「メッサーラとシナの執政年」という呼び方はその習慣に基づきます。執政官(コンスル)は毎年2名が選出され、その組み合わせで年が特定されました。慣例として公式文書や年代記では執政官名で年を記していました。
年代上の位置づけと背景
西暦5年は、キリスト紀元(Anno Domini)に基づく表記では1世紀の5年目、1十年(第1デケード)の5年目、1千年(第1ミレニアム)の5年目にあたります。この時期、ローマ帝国は皇帝アウグストゥス(在位: 紀元前27年–西暦14年)の治世下にあり、帝政ローマの安定期に属します。ただし、個々の出来事についての記録は限定的なため、西暦5年特有の国内外の重要事件は広く知られていないことが多いです。
表記上の豆知識
本文にあるように、西暦の表記でローマ数字が1文字だけになる年(I, V, X, L, C, D, M)は数が限定されます。これはローマ数字の基本記号が単独で年数を表す場合に該当します。歴史年表や年代表を作る際、このような特徴に目を向けると年代表記の面白さが分かります。
イベント
ローマ帝国
- ローマがカトゥベラウニ王クノベリヌスをブリテン王として認める。
- ゲルマン民族のチンブリとカリデスがローマに大使を送る
- グナエウス・コルネリウス・シンナ・マグヌス、ルシウス・ヴァレリウス・メッサラ・ヴォレサス(またはガイウス・アテウス・カピート)がローマの領事となる。
- ティベリウス、ゲルマニア・インフェリオルを征服
- アグリッピナ(Agrippina the Elder)がゲルマニクス(Germanicus)と再婚する。
- リヴィラ、ティベリウスの息子ドゥルス・ユリウス・カエサルと結婚する。
- ポリュカルムス・アゼニウスがアテネ大公になる。
中国
- 漢の皇帝、平が暗殺される。王太后は、子供のいない平の後継者が見つかるまでの間、王曼を漢の皇帝代理に任命する。
出生数
- ユリア ユリウス・カエサルとリヴィラの娘(43歳)。
- モーレタニアのドルシラ
- 阮咸帝の曾孫、留子穎(25歳没)
- 尹梨花(いんりか)女帝(64歳)。
死亡者数
- ガイウス・アシニウス・ポリオ ローマ時代の雄弁家、詩人、歴史家(前76、75年生)。
- 漢の皇帝、平が暗殺される。毒殺されたのは王莽(おうもう)の命令によるものと思われる。
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