ロバート・アンソニー・エデン、エイボンKG MC PC(1897年6月12日 - 1977年1月14日)は、英国の保守党政治家で、初代エイボン伯として知られます。生前は広くサー・アンソニー・エデンとして呼ばれ、1955年から1957年まで英国の首相を務めました。
教育と軍歴
エデンはイートン・カレッジ、続いてオックスフォードのクライスト・チャーチで教育を受けました。第一次世界大戦では歩兵部隊に従軍し、勇敢さが認められてMilitary Crossを受章するなど軍歴は彼の初期の経歴に重要な影響を与えました。
外務大臣としての歩みと戦間期・戦時中の役割
エデンは1930年代を通じて英国政治の前面に立ち、1935年に初めて外務大臣に就任しました。1938年にはネビル・チェンバレン内閣の対外政策、とりわけアドルフ・ヒトラーに対する宥和した対応に反対して辞任するなど、宥和政策を巡る論争の中で重要な役割を果たしました。第二次世界大戦中はチャーチル政権の一員として再び外務省で要職を務め、戦後も1951年から1955年にかけて再三にわたり外務大臣を務めて外交面での重責を負いました。
首相就任とスエズ危機
1953年に胆石のために手術を受け、回復は順調とは言えず健康を損なう契機となりました。それでも1955年にウィンストン・チャーチルが引退した後、保守党の後継として首相に就任しました。エデン政権は当初、国際問題と帝国の後始末に重きを置きましたが、1956年のスエズ危機が政権の運命を大きく左右しました。
1956年、エジプトのナセルによるスエズ運河の国有化に対し、英国はフランスおよびイスラエルと連携して軍事行動を行いました。しかしこの行動は国際的な非難を浴び、特に米国の強い反発を招きました。スエズ介入は英国の国際的地位に致命的なダメージを与え、エデンの首相としての信頼を大きく損なう結果となりました。
スエズ危機と慢性的な健康問題が重なり、1957年にハロルド・マクミランが後任となったことでエデンは首相を辞任しました。
私生活と晩年
晩年は健康が回復せず、1977年に肝臓がんのため79歳で亡くなりました。妻のクラリッサ・エデン(エイボン伯爵夫人、1920年生まれ)は、ウィンストン・チャーチルの姪である。
評価と遺産
エデンの人生は一般に「前半」と「後半」に分けて論じられます。1930年代から戦時中にかけての彼の活動は高く評価される一方で、スエズ危機後の対応により20世紀の英国首相の中でも評価が分かれる人物となりました。多くの伝記と研究が出されており、特にD.R.ソープ氏による1986年と2003年の伝記は、エデンの業績と失敗をよりバランスよく評価し直す試みとして注目されています。ソープはスエズ危機が「彼の首相としての地位を本当に悲劇的に終わらせたものであり、彼のキャリアを評価する上で不釣り合いなほど重要視されるようになったものだった」と述べ、危機がエデン評価に与えた影響の大きさを指摘しています。
家族
エデンには三人の息子がいました。長男と次男のうち少なくとも二人は父より先に亡くなり、エイボン伯爵の称号は次男のニコラスが継承しました。ニコラスの死により、その爵位は消滅しています。
総じて、アンソニー・エデンは第一次・第二次大戦期から冷戦前夜までの英国外交と政治を象徴する人物であり、その業績と失敗はいまなお歴史的議論の対象となっています。