ホレイショ・ハーバート・キッチナー(初代キッチナー伯)— 英国元帥・国務長官(1850–1916)

ホレイショ・ハーバート・キッチナー(1850–1916):英国元帥・国務長官。スーダン征服やボーア戦争での活躍、第一次大戦の徴兵キャンペーンで名を馳せた軍人の生涯。

著者: Leandro Alegsa

フィールドマーシャル・ホレイショ・ハーバート・キッチナー、1st Earl Kitchener KG、KP、GCB、OMGCSIGCMGGCIE、ADC、PC(1850年6月24日 - 1916年6月4日)は、アイルランド生まれのイギリスのフィールドマーシャルであった。

生い立ちから早期の軍歴にかけては、若いうちに軍に入り海外での実務経験を積んでいった。軍務を通じて卓越した組織力と遠征指揮の手腕を示し、後の北アフリカや南アフリカでの大規模作戦で頭角を現した。

エジプト・スーダン遠征

キッチナーはエジプト軍のシルダー(イギリス軍司令官)であった。彼は1898年にエジプトの支配に反対するマフディストの反乱軍を倒し、イギリスと(名目上は)エジプトのためにスーダンを征服した。特にオムドゥルマンの戦い(1898年)での勝利は決定的で、近代的な火器と補給線の整備、鉄道や艦艇を活用した機動力で優位に立った。

これらの成功は英仏関係にも影響を与え、ファショーダ事件(Fashoda Incident)の背景にもつながった。キッチナーのスーダン征服は植民地政策の一環として称賛される一方、現地住民への統治や報復のあり方について批判も招いた。

ボーア戦争(南アフリカ)での役割

1899年から1902年のボーア戦争では、当初は参謀長としてロバートズ元帥の下で作戦計画に関与し、後に1900年には南アフリカ駐留軍の総司令官(Commander‑in‑Chief)として実戦指揮を執った。彼はゲリラ化したボーア兵に対して組織的な反撃を行い、鉄道網や補給線を重視した掃討作戦を実施した。

その過程では焦土作戦や民間人を収容する収容所(concentration camps)の運用など、過酷な対反乱策が採られ、兵站と統制の成功と共に人道面での論争も引き起こした。戦後、彼の軍事的手腕は高く評価される一方で、政策の功罪が長く議論の対象となった。

第一次世界大戦と国務長官(戦争大臣)

第一次世界大戦が始まると、首相のアスキースはすぐにキッチナー卿を国務長官に任命した。国務長官(戦争相)としては、大規模な徴募と兵員増強を進める責任を負い、民間の協力を得るための宣伝活動にも積極的だった。特に有名な募兵ポスター「Your country needs YOU」(日本語では「国があなたを必要としている」などと訳される)には彼の指差す姿が使われ、国民動員に大きな影響を与えた。

彼の指導の下で兵員募集と補給体制が強化され、戦争初期のイギリス軍の動員に重要な役割を果たしたが、高齢で健康面の問題も指摘されていた。

最期と遺産

キッチナーは、ドイツの敷設したと考えられる機雷に触れた後、HMSハンプシャー号がオークニー諸島の近くで沈んだときに1916年に溺死した。船沈没により遺体はほとんど回収されず、多くの同乗者とともに海に没した。この事故をめぐっては諸説や陰謀論も存在するが、一般には機雷による沈没とされている。

生前の栄光と同時に、後世の評価は複合的である。軍事的才能と国民的象徴としての側面が強調される一方で、植民地支配や対反乱政策に伴う犠牲・人道問題についての批判も根強い。今日では、彼の行動を歴史的文脈の中で多面的に検証する必要があるとされている。

栄誉と受章

  • 多数のナイト・オーダー(KG、KP、GCB、OMGCSIGCMGGCIE など)に列せられた。
  • 生涯を通じて高い爵位と勲章を授与され、国防と帝国政策における象徴的存在となった。

総じて、ホレイショ・ハーバート・キッチナーは19世紀末から20世紀前半のイギリス軍および政治に大きな影響を残した人物であり、その業績と問題点は現在も歴史研究や公共の記憶の中で活発に議論されている。

象徴的な1914年のキッチナー卿のポスターです。Zoom
象徴的な1914年のキッチナー卿のポスターです。



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