イオナ島(スコットランド):コロンバ修道院・聖地の歴史と観光
イオナ島の歴史と聖地を徹底ガイド。563年コロンバ修道院の誕生から中世の宗教史、見どころ・アクセス・散策ルートや観光の魅力を写真と地図で詳解。
イオナ島(スコットランド・ゲール語:Ì Chaluim Chille)は、スコットランド西岸にあるインナー・ヘブリディーズ諸島の小さな島である。563年にコロンバが12人の修道士を連れて到着すると、大きな修道院を設立した。そのときからアイオナは聖地として知られるようになった。何世紀にもわたり、スコットランドのキリスト教の中心地であった。現在では、観光地として、また静養地として人気を集めています。現代ゲール語の名前は、「(聖)コロンバのアイオナ」(以前は「イコルムキル」と英語表記されていた)という意味である。
歴史の概観
6世紀、アイルランド出身の聖コロンバ(Columba / Colum Cille)が修道院を創建して以来、イオナは西欧のキリスト教文化と学問の重要拠点となりました。修道院の写字室(スクリプトリウム)では写本や装飾写本が制作され、伝説的な「Book of Kells(ケルズの書)」とも深いつながりがあるとされています。
8〜9世紀以降はヴァイキングの襲撃を受け、修道院や集落は何度か被災しました。中世には再興と衰退を繰り返しながらも、宗教的・王家の重要な聖地としての位置を保ちました。イオナは伝統的に多くのスコットランドや北方民族の君主の埋葬地とされ、古い墓地(Reilig Òdhrain / リーリヒ・オーリン)には多くの伝承が残っています。
近代では、20世紀に入って修復運動が行われ、特に牧師ジョージ・マクラウド(George MacLeod)による「イオナ共同体(Iona Community)」の活動(1938年設立)は、修道院の修復と島の宗教的・社会的再生に大きく寄与しました。現在の修道院は保存・礼拝の場として公開されています。
見どころ
- イオナ修道院(Iona Abbey):中世の遺構と近代の修復が残る主要施設。礼拝やコンサートも行われます。
- 高い十字架(High Crosses):島には古いハイ・クロス(例:St Martin's Cross など)があり、ケルト文化の彫刻を観察できます。
- リーリヒ・オーリン(Reilig Òdhrain):伝統的な墓地で、歴代君主の伝承にまつわる場所。静かに参拝することが望まれます。
- 修道女院や古い礼拝堂の遺跡:小さな遺跡群が点在し、島の歴史を身近に感じられます。
- 自然景観とビーチ:白い砂浜や海岸線の散策路、海鳥や海洋生物が観察できるポイントが多数あります。
観光情報とアクセス
アクセス:一般的には隣のマル島(Mull)のフィオンフォート(Fionnphort)から渡し船で渡ります。航路は短時間ですが、天候や季節で運航状況が変わるため、事前に時刻表を確認してください。
滞在:島内には小さな宿泊施設(B&B、ゲストハウス、修道院が運営する宿泊など)やカフェ、売店がありますが、規模は限られているためピークシーズンは早めの予約をおすすめします。常住人口は少なく、のんびりとした雰囲気が魅力です。
訪問時のマナーと注意点
- イオナは宗教的な聖地です。礼拝や墓地を訪れる際は静粛にし、案内や掲示に従ってください。
- 施設(修道院など)には開館時間や入場料・寄付が設定されていることが多いので、確認の上で訪問しましょう。
- 島の施設は限られているため、必要な物(飲料、充電器、現金など)は事前に用意すると安心です。
- 自然環境保護のため、ゴミは持ち帰り、植物や海岸の生物を傷つけないようにしてください。
まとめ
イオナ島は、古代から続く宗教的・文化的な重みと、美しい海岸や穏やかな暮らしが共存する特別な場所です。歴史や信仰、自然に関心がある訪問者にとって、短時間でも深い印象を残す聖地・観光地となっています。

礼拝堂とマウンド-アイオナ島の王たちの埋葬地。スコットランド、アイルランド、ノルウェーの多くの王がここに埋葬されている

アイオナの位置がわかるマル島

アイオナ島、修道院とDùn Ìの位置を示す。
村の様子
島の東側、セント・ローナンズ・ベイにある主な集落は、Baile Mòrと呼ばれています。地元では「村」と呼ばれています。小学校、郵便局、島の2つのホテル、ビショップハウス、アイオナ修道院の遺跡がここにあります。修道院とマクラウドセンターは北へ歩いてすぐのところにあります。近くには沖合の島がいくつもあります。Eilean Annraidh (嵐の島)とEilean Chalbha (子牛の島)は、北にある大きな島です。アイオナの西にはRèidh EileanとStac MhicMhurchaidh島がある。南にはEilean Mùsimul (ネズミのホルムの島)とSoa Islandがあります。
歴史
Dál Riata
当初、イオナはゲール人の王国ダール・リアタに属していた。この島は、中世初期に非常に重要な修道院があった場所である。伝承によると、この修道院は563年に、故郷のアイルランドから追放された修道士コロンバ(別名コルム・シル)によって創設された。コロンバは12人の仲間とともにアイオナに亡命し、そこに修道院を設立した。この修道院は大成功を収め、ピクト人のキリスト教への改宗に大きな役割を果たした。また、アングロサクソンのノーザンブリア王国にも影響を与えた。スコットランドには他にも多くの修道院が設立され、イオナは偉大な修道院システムの中心地となった。写字室では、非常に重要な文書が数多く作成された。
クリスチャンセンター
修道院そのものがケルト系キリスト教の中心地となった。イオナは、イースターの日付を計算する「ケルト式」を支持する大きな存在だった。ローマからイギリスにやってきた宣教師や司教たちは、イースターの日にちをローマ式に計算していた。この問題は、664年のウィットビーのシノドでローマ式が採用されたことで決着がついた。ピクトランドでは8世紀初頭にローマ式が採用された。アングロサクソンの歴史家ビードによると、イオナは716年にローマ式に変更した。ヴァイキングの襲撃やケルズ修道院のような他の強力な修道院の台頭により、アイオナの名声は次の数世紀で低下した。ケルズの書は、800年頃にアイオナ島で作成された。ほぼ同じ頃、島の高架橋が建てられた。この十字架は、上部に輪があり、それが「ケルト十字」と呼ばれるシンボルになった。794年から始まったヴァイキングによるイオナへの一連の襲撃で、財宝が何度も略奪された後、849年にコロンバの遺品が持ち出され、修道院が放棄されたため、スコットランドとアイルランドで2つに分けられた。
アイルズ王国
ヴァイキングがスコットランド西海岸を支配するようになると、アイオナはアイルズ王国の一部となった。981年、ノーザンブリアとダブリンの王アムレイブ・クアランは、アイオナ島で死去した。しかし、彼の後継者たちによって、この島は二度にわたって略奪された。986年のクリスマスの夜と、987年に再び。アルバ王国の支配者たちは、その起源をイオナに求め、島は新しい王国の重要な宗教的アイコンとなった。初期の王たちの多くは、この島に葬られている。アイルランドの王たちは、ノルウェー王、アイルランド王、スコットランド王の臣下であったこともある。11世紀には、名目上ノルウェー王国に属していたが、実際には独立していた。
1208年頃、Somerledの娘Bethócを初代修道女として、ベネディクト派の修道院が設立された。現在のベネディクト会修道院であるアイオナ修道院は、1203年ごろに建てられた。修道院自体は宗教改革まで栄え、建物は取り壊され、360個あった彫刻の十字架も3個を除いてすべて破壊された。
スコットランド王国
伝承によると、最初の「スコットランド王」はケネス・マカルピン(Cináed mac Ailpín)である。彼は843年に現在のスコットランドのはじまりを築いた。イオナのレイリグ墓地は、当時から11世紀まで、スコットランドの王が埋葬された場所である。アイオナには、合計で約48人のスコットランド王が埋葬されている。また、ノルウェーの8人の王とアイルランドの4人の王がアイオナに埋葬されている。
1266年のパース条約により、諸島(ヘブリディーズ諸島)はスコットランドの支配下に戻された。アウグスティヌス修道院は、13世紀に建てられた教会や回廊などの遺跡として残っている。修道院は宗教改革まで活動を続けていた。1760年代には、現在ほどは残っていなかったが、中世の修道院としてはスコットランドで最も完全な遺構である。
19世紀には、アイオナの南東で緑青の大理石が商業的に採掘され、採石場と機械が残っている。

ケルズの書 - ヨハネの福音書
ギャラリー
· 
9世紀のセントマーチンズクロス
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イオナ修道院
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修道院のキオストロ
· 
セントコロンバ湾方面を望む
質問と回答
Q: イオナとは何ですか?
A: アイオナはスコットランドの西海岸、インナー・ヘブリディーズ諸島にある小さな島です。
Q: コロンバがイオナに到着したのはいつですか?
A: コロンバは563年にアイオナに到着しました。
Q: コロンバはアイオナで何を発見しましたか?
A: コロンバはアイオナに大きな修道院を建てた。
Q: コロンバがイオナに到着した後、イオナはどのように知られましたか?
A: コロンバがイオナに到着した後、イオナは聖地として知られるようになった。
Q:スコットランドのキリスト教にとって、アイオナはどのような意味を持っていたのですか?
A: アイオナは、何世紀にもわたってスコットランドのキリスト教の中心でした。
Q: イオナの現代ゲール語名とその意味は?
A: イオナの現代ゲール語名は「(聖)コロンバのイオナ」を意味し、以前は「Icolmkill」と英語表記されていました。
Q:イオナの現在の機能は何ですか?
A:アイオナは現在、人気の観光地であり、保養地でもあります。
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