泥の行進」(1863年1月20日~1月23日)は、北軍のアンブローズ・バーンサイド少将が、リー率いる南軍の北バージニア軍を攻撃しようとしたものである。フレデリックスバーグの戦いでポトマック陸軍が惨敗した後、バーンサイドは名誉挽回を狙っていた。彼は、1862年12月30日にラッパハノック川を渡る冬の行軍を計画していた。しかし、その計画をリンカーン大統領に伝えていなかった。リンカーンは彼を呼び戻した。3週間後、今度はリンカーンの暗黙の了解を得て、軍は南進した。しかし、冬の雨で道がほとんど通れなくなっていた。4日後、この試みは失敗に終わった。
背景
泥の行進は、南北戦争中の北軍にとって精神的な打撃を与えた一連の出来事の一部です。1862年12月のフレデリックスバーグの戦いでの壊滅的な敗北により、指揮官アンブローズ・バーンサイドの評判は低下していました。彼は早急に挽回を図ろうとし、リー軍の側面または後方を突くことで新たな攻勢をかけようと計画しましたが、作戦の承認や綿密な準備は十分ではありませんでした。
行軍の経過
1863年1月中旬、バーンサイドは再び行軍を開始しました。目的は奇襲によりリー軍の注意をそらし、有利な位置を得ることでしたが、冬の降雨と融雪により主要道路はぬかるみと泥の海になっていました。大砲や物資を載せた輜重隊(しちょうたい)は頻繁に立ち往生し、歩兵も泥で疲弊しました。移動速度は極端に低下し、部隊の統制・補給・連絡が困難になりました。
この行軍中に大規模な戦闘は発生せず、戦術的な成功も得られませんでした。数日で行軍は停止され、部隊は元の位置、あるいは冬営地に戻されました。新聞や兵站(ロジスティクス)上の混乱、士気低下を受け、「泥の行進」と揶揄されるようになりました。
影響と評価
- 軍事的影響:直接の戦闘損失は少なかったものの、作戦の失敗は北軍の攻勢能力に対する疑念を深め、即時的な戦果を得られなかった。
- 指揮の影響:この失敗はバーンサイドの指揮能力に対する信頼を決定的に損ない、1月下旬にはバーンサイドが司令官の座を退くことにつながりました(司令部交代は北軍の戦略に影響を与え、その後ジョー・フッカーが部隊を率いることになります)。
- 政治・世論への影響:北部では報道や政治家からの批判が強まり、戦争指導への不満が高まりました。悪天候と準備不足が露呈したことで、軍の補給・計画能力への関心が高まりました。
- 歴史的評価:歴史家は「泥の行進」を、悪天候・不十分な準備・指揮上の過誤が重なった典型的な例として評価します。戦術的な衝突を生まなかったため戦闘史上の大きな事件ではないものの、北軍の指揮体制と士気に対する重要な転機となりました。
まとめ:「泥の行進」は天候と準備不足が招いた非戦闘の失敗であり、その政治的・軍事的余波は大きかった。バーンサイドの評判低下と北軍指揮部の交代は、この冬季行軍の直接的な結果として歴史に記録されています。

