ポール・リビア(1735年1月1日~1818年5月10日)は、初期のアメリカ合衆国の愛国者であり、アメリカ独立戦争の時代に活躍した人物です。彼はマサチューセッツ州ボストンで生まれ、若い頃から父や師匠のもとで銀細工を学び、腕の良い銀細工師として知られるようになりました。生涯に2度結婚し、合わせて16人の子供をもうけました。
リビアは、政治的・市民運動にも熱心で、「自由の息子たち」というグループのメンバーとして活動しました。このグループは、イギリス政府に対してアメリカ植民地の扱い改善や課税に対する抗議を行い、集会や印刷物、象徴的行動を通じて世論形成に影響を与えました。リビアはまた、当時の出来事を広く伝えるために版画制作にも携わり、ボストンの大虐殺を銀で彫ったものを作ったことで知られます。この刻印は広く配布され、イギリス軍による暴力のイメージを植民地の人々に強く印象づけ、反英感情を高める役割を果たしました。
独立戦争における伝令・軍務とその後
リビアは独立戦争の前夜、情報伝達者(伝令)として重要な役割を果たしました。彼は植民地間の委員会や民兵と連絡を取り合い、軍勢や警戒情報を伝える任務を引き受けました。特に有名なのは、レキシントンとコンコードの戦いの直前に植民地の民兵にイギリス兵の接近を知らせた行動で、これによって民兵側は準備を整えることができました。なお、この別れた隊列の伝説的な「夜の騎行(Midnight Ride)」ではウィリアム・ドーズやサミュエル・プレスコットらと共に行動し、途中で英軍に捕らえられた経験もありました。
戦時中および戦後の期間、リビアは地元の兵士としても活動し、戦後はボストンで金属加工業に事業を移しました。彼はボストンで金属の鋳造所を経営し、教会の鐘や大砲、日用品や建築用の金属部品など多様な金属製品の製造・加工に携わりました。この事業は、初期のアメリカにおける工業化の先駆けの一端を担いました。
評価と文化的影響
リビアの行動は当時の政治的な世論形成に大きな影響を与え、彼の名はアメリカ独立の象徴の一つとなりました。1860年にはヘンリー・ワズワース・ロングフェローが詩集に「Paul Revere's Ride」という詩を寄せ、この詩が広く読まれたことでリビアの「夜の騎行」は伝説化されました。ただし、ロングフェローの詩は史実を単純化・美化している部分もあり、歴史研究では当時の記録を基に実際の経緯を検証することが重要とされています。
リビアはボストンで生涯を終え、同市のグラナリー埋葬地に埋葬されました。銀細工師としての技術、版画を通じた世論形成、伝令や軍事的貢献、そして戦後の金属加工事業における業績を通じて、ポール・リビアはアメリカ建国期の重要人物として今日でも広く記憶されています。

