チューダー王朝は、イングランドの王と王妃を歴任した王朝である。1485年に始まり、1603年まで続いた支配者列である。

ヘンリー・チューダーがボズワース・フィールドの戦いでリチャード3世を破ったことから、王朝は始まった。これが薔薇戦争の最終段階となり、彼はイングランド王ヘンリー7世となった。ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨークの長男がプリンス・オブ・ウェールズ、アーサーである。彼はアルゴンのキャサリンと結婚した。彼女はアルゴン公フェルディナンド2世とキャッスル公イザベラ1世の娘である)。アーサーは1502年に亡くなり、王にはなれなかった。

概要

チューダー朝(1485–1603)は、内戦で疲弊したイングランドを中央集権的に立て直し、宗教改革・海外進出・文化的繁栄を通じて近代イングランドの基礎を築いた時代である。王朝はヘンリー7世の即位で始まり、ヘンリー8世の宗教政策やエリザベス1世の統治によって国内外で大きな変化をもたらした。1603年にエリザベス1世が子を残さずに没すると、スチュアート朝のジェームズ6世(イングランドではジェームズ1世)が後を継ぎ、チューダー朝は終わった。

主な君主と重要な出来事

  • ヘンリー7世(在位1485–1509)
    薔薇戦争を終結させ、王権の安定化と財政改革を進めた。婚姻政策で王家の正統性を補強し、私有地の管理や重商主義的政策で王室の収入基盤を固めた。
  • ヘンリー8世(在位1509–1547)
    イングランド宗教改革を主導し、1534年の国王至上法などでローマ教皇からの独立を確立した。修道院解散(修道院財産の没収)により王室財政が強化された。6回の結婚と相続問題が政治に大きな影響を与えた。内政では王権強化と官僚制の拡大が進んだ。
  • エドワード6世(在位1547–1553)
    ヘンリー8世の息子で若年即位。プロテスタント色を強めた宗教改革を進めたが、短命で政情は不安定だった。
  • メアリー1世(在位1553–1558)
    「ブラッディ・メアリー」とも呼ばれる。カトリック復古を図り、ローマ教皇との和解を試みたため、プロテスタントへの弾圧が行われた。スペイン王フェリペ2世との関係強化(結婚)も外交上の重要点。
  • エリザベス1世(在位1558–1603)
    エリザベス朝を確立し、宗教上は中道的なエリザベス宗教和解(1559年)で国内の安定を図った。1588年のスペイン無敵艦隊の撃退は国威を高め、海外進出や私掠船の活動を後押しした。演劇や文学(シェイクスピアなど)が栄え、いわゆる「エリザベス時代」の文化的黄金期を迎えた。

政治・社会・宗教の変化

チューダー朝は国家機構の中央集権化を進め、王権と官僚制度が強化された。スター・チャンバーなどの裁判制度や、王室財政の充実、法制度の整備が進んだ。農村では囲い込み(エンクロージャー)などで経済構造が変化し、商業・都市活動が活発になった。

宗教面ではヘンリー8世によるローマ教皇からの離脱、エドワード時代のプロテスタント化、メアリーのカトリック復古、エリザベスの宗教和解といった激しい変動があった。最終的に国教会(Church of England)の独自性が確立され、宗教と政治は密接に結びついた。

外交と海外進出

大陸諸国(フランス・スペイン)との対立や同盟を繰り返しつつ、海上貿易と探検が進展した。エリザベス期には私掠船(フランシス・ドレークなど)によるスペイン船襲撃や北米・アジア方面への航海が活発化し、後の植民地拡大と帝国形成の下地が作られた。

王朝の終焉と遺産

エリザベス1世が1603年に子嗣なく没すると、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として王位を継承し、スチュアート朝が始まった(王冠の個人的統合)。チューダー朝は、強化された中央政府、国教会の成立、海外進出の始まり、文化の繁栄という近代イングランドの主要な特徴を確立し、後世に大きな影響を残した。