1258年の出来事:主要事件・生誕・死去一覧
1258年の主要事件・生誕・死去を時系列で解説。政治・戦闘・文化の転換点を網羅した分かりやすい年表で当時の世界を俯瞰。
内容
イベント
- バグダードの包囲と陥落(1258年2月)
モンゴル軍(フラグ=ハーン=フラグの遠征軍)がバグダードを包囲・攻略し、1258年2月に都市は陥落しました。これにより、当時の中心であったアッバース朝の支配は事実上終焉を迎え、首都は破壊・略奪され、多くの市民や学者が犠牲になりました。図書館や知識の中心とされていた施設が壊滅的な打撃を受けたと伝えられ、イスラム世界だけでなく当時の学問・文化にも大きな衝撃を与えました。 - イングランド:オックスフォード協定(1258年6月)
英国では貴族たちが王権改革を要求し、1258年にオックスフォードでいわゆる「Provisions of Oxford(オックスフォード協定)」が成立しました。これは王(ヘンリー3世)の統治に対する貴族側の監視・助言機構を定めた文書で、王権と貴族の権力配分に関する重要な転換点と見なされています。のちの政治制度や憲政発展に影響を与えました。 - モンゴル帝国の西進と中東情勢の変化
フラグの遠征は中東地域の勢力図を一変させ、アッバース朝の衰退に伴って地域の政治的空白が生じました。この過程で、イスラーム世界の一部地域では勢力再編や地方政権の台頭が見られました。 - その他の地域的出来事
13世紀中葉の世界は各地で地域紛争、領土拡張、政争が頻発しており、1258年も各地で大小の戦闘・政治変動が起きていました。地方史や年代記によって記録の偏りがあるため、地域によって重要視される出来事は異なります。
出産(生誕)
- 1258年に生まれたとされる著名人物の記録は比較的限られています。13世紀の出生記録は不完全であり、地方の貴族や宗教的人物の生誕は年代記や家系図に頼る場合が多いため、確定的に挙げられる世界的な著名人は少ないのが実情です。
- 注:地域史や専門書を参照すると、各国・各地域で1258年生まれと伝えられる人物が見つかることがあります。具体的な人物を挙げる場合は出典の確認を推奨します。
死亡(没年)
- アル=ムスタスィム(最後のアッバース朝カリフ) — 1258年
バグダード陥落の際に捕らえられ、処刑されたと伝えられています。アッバース朝の政治的支配はここで終焉を迎え、その死は中東史における大きな転換点となりました。 - バグダード市民・学者の多数の死去
包囲・略奪に伴い、多数の市民、学者、工匠などが殺害され、文化・学術面での壊滅的被害が生じました。個別の名前は年代記によって断片的に伝えられますが、全体としての死者数や被害規模は重大でした。 - その他、1258年前後に没した地方の指導者や宗教者は各地域史に記録されています。詳細は各国の年代記や現存する史料を参照してください。
ノート
- 史料の差異と暦の扱い
13世紀の出来事を現代の暦(グレゴリオ暦)で扱う場合、史料や年代記の暦(イスラム暦・ユリウス暦など)との換算差に注意が必要です。出来事の日付や年表記に関しては出典によって差異が生じることがあります。 - 記録の偏り
中世史の史料は地域ごと・宗派ごとに偏りがあり、特に政治的に支配された側の記録は破壊や散逸により欠落していることが多いです。1258年のように大規模な破壊があった場合、被害を受けた地域の当時の記録は後世に残りにくく、今日知られている情報は勝者側や外来記録、後世の編纂に依拠することが多くなります。 - 更なる調査を推奨
この年に関する詳細や地域別の出来事、人物の生没年などを深く調べる場合は、学術書・年代記の原典、専門の歴史論文を参照してください。地域史・宗教学・中世史の専門文献には、より精緻な日付や解釈が掲載されています。
イベント
- c.1月 巨大火山が噴火する。場所は誰もわからないが、メキシコのエル・チチョンやエクアドルのキロトアなど熱帯の場所であったかもしれない。噴火の影響として、フランスで乾燥した霧、イギリスで月食、ヨーロッパで厳冬、アイスランド北部で「厳しい」春、イギリス、ドイツ西部、フランス、イタリア北部で飢饉、ロンドン、フランスの一部、オーストリア、イラク、シリア、トルコ南東部でペスティレンスの発生などの逸話が観測されています。
- 2月10日 バグダッドの戦い(1258年) フラグ・ハーン率いるモンゴル軍がバグダッドを制圧。この都市はイスラム文化・学問の中心地であり、アッバース朝カリフの首都であった。モンゴル軍は都市を焼き払い、多くの人々を殺害した。
出生数
- アルグーン イラン・イルハン国第4代支配者(推定年、1291年没)
- オスマン帝国の創始者オスマン1世(1326年没)
死亡者数
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