1378年の出来事

  • 教皇グレゴリウス11世の死(1378年3月27日) — ローマ教皇グレゴリウス11世がこの年に没したことをきっかけに、後継選出をめぐる混乱が発生しました。
  • ローマ教皇ウルバヌス6世の選出(1378年4月) — ローマに残った枢機卿たちがローマで教皇選挙を行い、バルトロメオ・プリニャーノ(ウルバヌス6世)が選出されました。しかし選挙過程に不満を持つ枢機卿が続出しました。
  • アヴィニョン教皇の再出現と大シスマの始まり(1378年9月〜) — ローマの選挙に反発した一部の枢機卿がアヴィニョンでロベール・ド・ジュネーヴ(クレメンス7世)を対抗教皇として選び、ローマ派とアヴィニョン派の対立が顕在化しました。これが「西方教会大分裂(大シスマ、Western Schism、1378–1417)」の始まりです。
  • 神聖ローマ皇帝チャールズ4世の死(1378年11月29日) — ルクセンブルク家のチャールズ4世(神聖ローマ皇帝)が没し、ボヘミア王位や皇帝の後継問題が政治的影響を及ぼしました。チャールズの子ヴァーツラフ(ウェンツェスラウス)4世が父の系譜を継ぎ、ボヘミア王位の地位を引き継ぎます。
  • イングランド王リチャード2世期の情勢 — 若年のリチャード2世(在位1377–1399)の治世初期で、政権は有力貴族や摂政層の影響下にありました(1378年自体に決定的な事件が集中した年ではないものの、若年王の統治期間として政治的不安定の萌芽が続いていました)。
  • 中央アジア・中東・アジアの動向 — ティムール(タメルラン)は中央アジアで勢力を拡大中であり、領域再編の進行が見られました。また中国の明朝(洪武帝・朱元璋)は建国後の統治整備を継続し、国内統治と軍制・行政改革が進められていました。

主な誕生

1378年に関しては、史料や年代記により出生年の記録が不確かな人物も多く、確定的に「1378年生」とされる著名人は限られます。地域史料により1378年頃と推定される人物が存在する場合がありますが、ここでは確実な記録のある主要人物は特に挙げられていません。

主な死去

  • 教皇グレゴリウス11世(Gregory XI)(在位:1370–1378) — 1378年3月27日没。アヴィニョンからローマへ戻った最後期の教皇で、彼の死は教皇権と欧州諸国の対立を引き起こし、大シスマの直接的な契機となりました。
  • チャールズ4世(Charles IV) — 神聖ローマ皇帝、ルクセンブルク家(1316?–1378)。1378年11月29日没。彼の死はボヘミア王権と帝国内の勢力地図に影響を与えました。

歴史的意義と影響

  • 西方教会の分裂(大シスマ)の開始) — 1378年に始まった教皇の二重選出は、教会権威の大幅な低下を招き、各国がローマ派かアヴィニョン派のどちらを支持するかで分裂しました。教会の政治介入・世俗権力との結び付きが強まり、のちのコンスタンツ公会議(1414–1418年)など、聖職者の改革・教会統治をめぐる運動(コンシリアリズム)を促す一因となりました。
  • 国際政治への波及 — 教皇支持の分裂は国際的同盟や敵対関係にも影響を与え、列強間の外交・内政選択に影を落としました。フランスや英、神聖ローマ帝国諸侯などが教皇問題を政治的利用しました。
  • 中欧の王権移行 — チャールズ4世の死はボヘミアを中心とした中欧の勢力図を変え、ヴァーツラフ4世の時代における国内外の課題(貴族との対立、都市の台頭など)に繋がります。
  • ユーラシア各地の勢力変化 — ティムールの台頭や明朝の統治整備など、各地域で新たな勢力や制度が確立されつつあり、後の数十年にわたる地域再編につながる動きが進行していました。

補注

  • 日付は当時の暦や史料の表記により異なる場合があります(ユリウス暦・グレゴリオ暦換算の差異など)。
  • ここで挙げた出来事はヨーロッパ中心の記録に基づく部分が大きいため、地域ごとの史料を参照することでより詳しい現地事情が把握できます。