この選挙は、ジミー・カーター元ジョージア州知事とジェラルド・フォード大統領の間で行われました。両候補はそれぞれ「信頼」と「経験」を訴え、ウォーターゲート後の政治不信や経済問題を背景に激しく争いました。
選挙結果
選挙人投票では、ジミー・カーターが297票、現職のジェラルド・フォードが240票を獲得しました。ワシントンの忠実な選挙人が1票をロナルド・レーに投じたため、合計で538票となりました。国民投票ではカーターが約50.1%、フォードが約48.0%を獲得し、僅差での勝利となりました。
背景と主要争点
この選挙は、1974年にウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が辞任した後に行われ、政権への不信感が有権者の重要な関心事でした。フォード大統領は1974年にニクソンを恩赦したことが批判を招き、これがフォードの支持に影を落としました。一方で、カーターは政治的なアウトサイダーとして「正直さ」と「倫理」を前面に出して支持を広げました。
経済面では、インフレや失業、1973年・1979年の石油危機に端を発するエネルギー問題が争点でした。また、ベトナム戦争の影響や冷戦下での外交政策も有権者の関心事項でした。共和党内ではロナルド・レー(後のレーガン)が保守派の台頭を象徴し、フォードとの党内対立が見られました。
地域別の動向と南部の変化
ジミー・カーターは南部出身であったため、アメリカ南部で強い支持を得て多くの南部州を制しました。しかし、1976年以降、南部は徐々に共和党への傾斜を強めていき、この選挙は南部で民主党候補が相対的に強さを示した最後の重要な例の一つとみなされています。
影響とその後
カーター政権は人権外交やエネルギー政策、パナマ運河条約の交渉、さらに1978年のキャンプ・デービッド合意などの成果を持ちますが、経済の停滞(スタグフレーション)と1979–80年のイラン人質事件などにより支持を失い、1980年の選挙でロナルド・レー(レーガン)が勝利する道を開きました。共和党内の保守化はこの後さらに進展し、国内政治の大きな変化をもたらしました。
最後に(人物の現状)
この選挙の主要候補者のうち、ジミー・カーターは長寿で知られ、元大統領として存命である(執筆時点)。一方、ジェラルド・フォードは2006年に死去しました。1976年の選挙は、戦後アメリカ政治の転換点と、その後の党勢の変化を理解するうえで重要な意味を持っています。













