概要
聖書無誤性とは、著者によって最初に書かれたときの聖書は正確であり、誤りを主張していないとする見解を指す。支持者は通常、この主張を自筆原本に限定し、後代の写本や翻訳には伝達の過程で生じた誤りが含まれうると考える。批判的な立場では、自由主義的キリスト教徒や多くの学者などが、権威、霊感、歴史的信頼性についてのさまざまな別の見方を説明するために、異なる言葉を用いる。
主張と区別
支持者の間でも範囲や重点は異なるため、関連する立場はいくつかに区別される。
- 厳格な無誤性:原著は、神学的、歴史的、科学的のいずれの主張においても誤りがない。
- 不可謬性:救いの目的や教理的教えに関しては聖書は誤りなく働くが、あらゆる事実上の不正確さまで排除するとは限らない、という意味で用いる人もいれば、無誤性と同義に扱う人もいる。
- 限定的・機能的な無誤性:信仰と実践に関する事柄では無誤性を認めつつ、歴史的または科学的な細部には付随的な不完全さを許容する立場である。
歴史的展開とシカゴ声明
聖書の権威をめぐる論争はキリスト教史の初期から長い背景を持つが、無誤性の近代的で技術的な定式化は、19世紀から20世紀にかけて、聖書学、科学の進展、そして教会内部の神学的対立が強まるなかで主として成立した。現代の代表的な表現としてしばしば引かれるのが、1978年にシカゴで開かれた集会である。そこで数百人の福音派の学者と指導者がシカゴ声明を起草した。その文言は神の権威を強調し、霊感は自筆原本に特に適用されると पुष्टिしている。この声明は多くの保守的な福音派キリスト教徒のあいだで影響力を持ってきたが、他の伝統でも聖書を語る独自の表現が発展してきた。
写本、本文批評、そして原本の意味
無誤性についての主張は、一般に現存する写本ではなく、最初に書かれた文書を指す。新約聖書は、ギリシア語の多数の写本と、ラテン語や他の言語によるさらに多くの写本によって伝えられている。学者たちは、現存する証拠が非常に多いこと、たとえばギリシア語・ラテン語の断片や写本が多数あること、また初代教会の著作家による聖書の広範な引用があることをしばしば指摘する。本文批評は、そうした写本を研究して、到達可能な最も古い本文を再構成する学問である。原本は現存しないため、無誤性への訴えは必然的に、批判的研究によって再構成された本文に結びつく。
聖書、イエス、そして他の信仰伝統
キリスト教の内部では、旧約聖書の本文をどう扱うか、またそれらをイエスがどう用いたかが、しばしば無誤性との関係で論じられる。福音書は、イエスが旧約聖書を引用し、それに訴えたことを伝えており、多くの無誤性擁護者は、その用法を聖書を信頼する手本として挙げる。たとえば、マタイ5:17–20のような箇所は、連続性と権威をめぐる議論で重要な位置を占める。同時に、ユダヤ教や他の伝統は、それぞれの聖典や解釈の伝統に異なる仕方で向き合う。ユダヤ教におけるヘブライ語聖書の本文的・神学的地位は、無誤性と呼ばれる特定のプロテスタント教理と同じ形を取ったことはない。
現代の論争と実践上の重要性
今日、この話題は神学、教育、翻訳、牧会の実践と交差している。論点には、見かけ上の不一致をどう読むか、聖書の科学的記述を現代科学と調和させるべきか、また無誤性が説教や教理にどのような影響を与えるかが含まれる。学者や教会組織は、難しい箇所に取り組む際に、それぞれ異なる解釈学上の規則を用いる。批判者の中には、文字通りの無誤性を強く主張すると、歴史的・文学的な正当な探究を閉ざしてしまうと論じる者がいる。一方、擁護者は、聖書に高い権威を認めることが教理の明確さと道徳的教えを守ると主張する。
注目点と参考
- 「無誤性」という語は主としてプロテスタントの議論で用いられ、他のキリスト教共同体では「権威」や「真正性」のような関連語を好むことがある。
- シカゴのような現代の声明以前にも、初期の教会著作家たちは、同じ専門語を使わずに聖書の信頼性を訴えていた。
- 新約聖書の本文群とその多数の写本は本文上の議論の中心であり、ギリシア語写本の学術版を支える新約聖書の基礎資料として、多数のギリシア語証人が挙げられる。
一次資料や声明を調べたい読者は、教理要約、聖書への批判的入門書、各教派の立場を参照するとよい。代表的文書、学術的批評、本文批評の案内は、多様な視点を提供し、聖書の真理と権威について各共同体がどのように定義し、実践しているかを明確にするのに役立つ。追加資料は、学術図書館や各教派の学習用ガイドでも見つけられる。
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