2011年の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0の地震とそれに続く津波が発生しました。気象庁の震度は最大級の非常に強い揺れが観測されました。地震は2011年3月11日05時46分23秒(世界時、= 日本時間2011年3月11日14時46分23秒)に東北地方の東岸、宮城県仙台市から130kmの地点で発生しました。深さは約24.4 km(15.2マイル)と推定されました。観測史上、日本で発生した地震の中で最も強い地震の一つであり、1900年の記録開始以来、地球規模でも4番目に強力な地震の一つとされています。
2015年2月10日、警察庁の報告書では、死者15,890人、負傷者6,152人、行方不明者2,590人が確認されました。
被害の概要
- 人的被害:上記の警察庁の報告に示されるように多数の死傷者が発生し、被害の多くは津波による溺死や家屋倒壊によるものです。また、地震・津波直接被害に続く避難生活や高齢者を中心とした健康悪化による「関連死」も多数報告され、時間の経過とともに被害把握の集計が更新されました。
- 津波:巨大な津波が東北沿岸を襲い、沿岸部の広い範囲が浸水しました。観測された最大到達高さは地点によって非常に大きく、約40メートルに達した地点も報告されています。海岸線から数キロ内陸まで津波が到達した地域もあり、港湾・漁港、漁船、漁業資源に甚大な被害を生じました。
- 原子力災害:福島第一原子力発電所では非常用電源の喪失と冷却機能の停止から炉心溶融(メルトダウン)や大量の放射性物質放出が発生し、国際原子力事象評価尺度(INES)で最高レベルの「レベル7」と評価されました。広範囲にわたる避難指示・避難区域の設定と長期にわたる帰還困難区域の発生を招きました。
- 社会・経済的被害:道路・鉄道・港湾・空港・電力・通信などの社会インフラが大きく損傷し、物流や産業活動に深刻な影響を与えました。多くの住宅が全壊・半壊し、長期間にわたる仮設住宅や復興住宅での生活を余儀なくされた被災者が多数出ました。
応急対応と復興
- 地震直後から自衛隊、消防、警察、自治体職員、ボランティア、国際的な支援組織が救援活動に従事しました。海外からも多数の支援が寄せられました。
- 被災地の復興に向け、2012年に復興庁が設置され、長期にわたるインフラ再建、住宅再建、産業支援、除染・帰還支援などが進められています。避難者の生活再建、地域経済の立て直し、震災後の心のケアやコミュニティ再生も重要な課題となりました。
教訓と対策
- 津波に対する警報・避難体制、津波浸水想定の見直し、沿岸防災施設(防潮堤や避難所)の整備といった対策が全国で進められました。また、避難行動の重要性(高台への迅速な避難・徒歩での避難など)が強調されるようになりました。
- 原子力安全の面では規制枠組みの強化や事故対応の見直し、バックアップ電源や冷却機能の冗長化などの安全対策が導入されました。原子力発電に関する社会的議論も深まりました。
- 情報発信・警報システムや広域的な災害対応能力の向上、被災者支援の仕組みづくり、地域防災力の強化が重要課題として継続的に取り組まれています。
記憶と追悼
この震災は日本社会に大きな衝撃を与え、多くの犠牲者を出しました。毎年3月11日には被災地や全国で追悼行事が行われ、犠牲者を追悼するとともに防災・減災の重要性を伝える活動が続いています。被災地には慰霊碑や資料館・展示なども整備され、記録と教訓の保存が図られています。
(注)上記の死傷者数は2015年2月10日の警察庁報告に基づく数値です。その後も被害の把握や関連死の認定などで統計が更新されることがあり、被害の全容把握には長期的な整理が必要とされています。

