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紀元前43年―ローマ共和政:権力闘争と第二回三頭政治の成立

カエサル暗殺後の内戦、ムティナにおける執政官勢力の戦いと有力者の死、そして第二回三頭政治の成立によって画された、ローマ史の転換点となる年。

概要

紀元前43年は、ローマ史における重大な転換点に位置する年である。ユリウス暦の改革がなお定着の途上にあったため、年代記録では当時の暦法上の数え方に応じて、日曜日に始まる平年月曜日に始まる平年火曜日に始まる平年、あるいは日曜日に始まる閏年、月曜日に始まる閏年として表記されることがある(ユリウス暦)。当時のローマ人は通常、執政官の名によって年を示し、この年をパンサとヒルティウスの執政官年と呼んだ。

政治・軍事上の展開

紀元前44年のガイウス・ユリウス・カエサル暗殺後、紀元前43年はローマとその属州の支配をめぐる争いに支配された。元老院内の対立諸派、暗殺者の支持者、カエサルの後継者および副官たちは、それぞれ有利な地位を確保しようと動いた。同盟関係は都市と軍隊を舞台に急速に変化した。元老院議員たちは軍事的対応を支持する一方、野心的な指揮官たちは兵士や退役軍人の間で個人的な支持基盤を築いた。

軍事行動は北イタリアを中心に展開し、包囲戦と一連の戦闘は、一般にムティナの戦いとしてまとめられる対決へと至った。マルクス・アントニウスに対する元老院の戦いに加わった両執政官、アウルス・ヒルティウスとガイウス・ウィビウス・パンサは、戦闘中またはその直後に負った傷がもとで死亡した。この死により、勢力の新たな再編を妨げていた主要な障害が取り除かれた。

第二回三頭政治の成立とその後

その後の数か月のうちに、複数の有力者が相違を解消した。オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)、マルクス・アントニウス、マルクス・アエミリウス・レピドゥスは合意に達し、それはまもなく非常時の政治的協力関係として正式に成立した。この取り決めは第二回三頭政治として知られ、3人に例外的な権限を与えるとともに、プロスクリプティオ(追放・処刑者名簿)による反対者の組織的な粛清を招いた。最も著名な犠牲者の一人は雄弁家・政治家のキケロであり、彼はこの報復のさなか、紀元前43年の秋に殺害された。

主要な出来事と意義

  • ムティナ戦役を含む、北イタリアでの軍事的衝突。
  • ヒルティウスとパンサの両執政官の死。これは当面の政治的選択肢を大きく変えた。
  • 第二回三頭政治の法的な成立と、それに続くプロスクリプティオ。
  • 有力な元老院派反対者の排除と、三頭政治の指導者たちによる権力の集約。

主な死去者と歴史的遺産

  • アウルス・ヒルティウス:執政官であり、ムティナでの戦いに関わった指揮官。
  • ガイウス・ウィビウス・パンサ:その死が元老院派の大義に影響を及ぼした執政官。
  • マルクス・トゥッリウス・キケロ:プロスクリプティオの際に殺害された政治家・雄弁家。

歴史的に、紀元前43年は共和政体制の衰退と、三頭政治の指導者たち、さらに後のアウグストゥスのもとでの集権的な帝政的権威の出現に向けた決定的な一歩とみなされている。暦の数え方や一次史料に関する技術的な詳細については、ユリウス暦に関する同時代の概要および古典史料を参照のこと。現代の研究については、共和政末期に関する標準的研究書、ならびにオクタウィアヌス、アントニウス、キケロの伝記を参照されたい(暦注年代記年代の異説、閏年の可能性、閏年の可能性 II)。

関連項目

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