ジョン・ブロー(John Blow、ノッティンガムシャー州ニューアーク・オン・トレント生まれ、1649年2月23日に洗礼を受け、1708年10月1日にロンドンのウェストミンスターで死去)は、イギリスの作曲家、オルガニストで、英国内外の教会音楽や儀礼音楽に大きな影響を与えた人物です。特に有名な弟子に、後に「イギリス最大の作曲家」と評されるヘンリー・パーセルがいます。
生い立ちと初期の経歴
ブローはニューアーク・オン・トレントで生まれ、少年時代にチャペル・ロワイヤル(国王礼拝堂付属の聖歌隊)の聖歌隊員として音楽教育を受けました。若くして作曲を始め、賛美歌やアンセム(典礼用合唱曲)を手がけました。複数の少年聖歌隊員と共同で作曲した「クラブ・アンセム」と呼ばれる作品群の一例が伝わっています。日記作家のサミュエル・ペピスは、ブローの歌声を一度だけ聞いたことがあり、そのとき声が変わっていたため「不快な音がした」と記しています。
主な職務と経歴の流れ
- 1668年:ウェストミンスター寺院のオルガニストに就任。
- 1674年:チャペル・ロワイヤルのジェントルマン(歌手兼作曲担当)となる。
- 1676年:ウェストミンスター寺院の3人のオルガニストの一人として活動。
- 1677年:「音楽博士」(Mus. D.)の学位を授与される。
- 1680年前後:若き弟子であるヘンリー・パーセルの台頭に伴い、一時的に職務の調整を行ったとされる。
- 1685年:ジェームズ2世の個人音楽家の一人に任命され、王の戴冠式などのための大規模なアンセム(たとえばGod spake sometime in visionsといった長い賛歌)を作曲した。
- 1687年:セントポール大聖堂の聖歌隊長に就任。ロンドン大火後に再建された大聖堂で聖歌隊の編成が改められる時期でしたが、マイケル・ワイズの死去を受けてその職を引き継ぎました。
- 1695年:ウェストミンスター寺院のオルガニストに再任(同年、ヘンリー・パーセルが死去したことに伴う人事)。また、同時期にウェストミンスターのセント・マーガレット教会のオルガニストも務めました。
- 1699年:チャペル・ロイヤルの作曲家(Composer of the Chapel Royal)に任命され、当時としては注目すべき称号を得ました。
作品と様式
ブローは礼拝用のアンセムやサービス曲(礼拝で用いるミサ曲に相当する英語礼拝音楽)、儀礼用オード、そして舞台音楽や小規模なオペラ的作品まで幅広く手がけました。なかでも短い劇音楽的作品Venus and Adonis(『ヴィーナスとアドニス』、1680年代頃)は、英語による初期のオペラ的作品の一つと位置づけられ、後の英国演劇音楽・オペラの発展に影響を与えました。
ブローの音楽は、英王政復古期(Restoration期)の典礼音楽の伝統を受け継ぎつつ、劇的表現や合唱の色彩感を重視する点が特徴です。テキストへの敏感な配慮、ドラマティックな対位法と和声進行、そして声部の巧みな扱いにより、合唱曲としての説得力が高い作品を多く残しています。多くの作品は写本で伝承され、当時の聖歌隊や礼拝で実際に用いられました。
弟子と後進への影響
ブローは長年にわたって合唱団や若い音楽家の教育に携わり、ヘンリー・パーセルをはじめ、ウィリアム・クロフト、ジェレミア・クラーク、ダニエル・パーセルなど、多くの有望な音楽家を育てました。これらの弟子たちは後に英国内で重要な作曲家・教会音楽家として活躍し、ブローの様式や教育法は英国教会音楽の伝統に大きな影響を残しました。
私生活と最期
1673年9月にエリザベス・ブラドックと結婚しましたが、約10年後に彼女は出産の際に亡くなったと伝えられています(本文では「10年後、彼女は子供を出産して死亡した」と記載)。
ブローは1708年10月1日に亡くなり、ウェストミンスター寺院の北側通路に埋葬されました。埋葬場所はヘンリー・パーセルの近くであり、師と弟子が並んで眠る形となりました。
評価と遺産
今日、ジョン・ブローは17世紀後半の英国教会音楽を代表する作曲家の一人として評価されています。演奏史や楽譜研究を通じて彼のアンセム、サービス、舞台音楽の多くが再評価され、現代の合唱団や教会でも取り上げられることが増えています。特にVenus and Adonisは英語劇音楽の萌芽を示す重要な作品として注目され、ヘンリー・パーセルをはじめとする後進への直接的な影響を示す資料的価値も高いとされています。

