アイルランド共和国軍(IRA)は、アイルランド共和国同胞団などの民族主義・共和主義組織を起源とし、アイルランド独立戦争(1919–1921)において、アイルランドの主権回復をめざしてイギリス軍やその行政機構と武装闘争を行った。イギリスによる統治は長年にわたり進められ、17世紀のアルスター地方での植民(プランテーション)や以降の政治的支配を通じて影響力を拡大していった。独立戦争の結果、アイルランド島が南北に分割され、北側6県は英国の北アイルランドとして残り、残る地域が英愛条約により部分的に自治をもつ新たな国家(後のアイルランド自由国/アイルランド)として成立した。これを契機にIRAは内部で分裂し、その後一部勢力はアイルランド共和運動を継承して武装闘争を続け、別の勢力は政治活動へと軸足を移していった。後年、一部の組織や自称部隊が北アイルランド紛争(いわゆる北アイルランドでの「ザ・トラブルズ」)に深く関与した。

起源とイースター蜂起(1916)

IRAの前身には、19世紀から20世紀初頭にかけての共和主義団体(たとえばアイルランド共和兄弟団:IRB)や、1913年に結成されたアイルランド義勇隊(Irish Volunteers)などがある。1916年のイースター蜂起は軍事的には鎮圧されたが、世論を大きく動かし、以後の独立運動を加速させた。

独立戦争と分割(1919–1921)

1919年から1921年にかけて、IRAはゲリラ戦術を用いてイギリス行政・治安部隊と対峙した(アイルランド独立戦争)。1921年の英愛条約によりアイルランド自由国が成立する一方、6県は北アイルランドとして英国に残されることが合意され、島の分割という結果を生んだ。この条約をめぐっては賛否が分かれ、翌年の内戦へとつながった。

内戦と以後の分裂

1922–1923年のアイルランド内戦は、英愛条約を受け入れた立場(自由国政府側)と拒否した立場(反条約派、従来のIRA支持者)との武力衝突だった。これにより共和主義運動は分裂し、以降何度も組織の分裂・再編を繰り返した。1969年頃には政治的・戦術的対立から主に「オフィシャルIRA」と「プロビジョナルIRA(Provisional IRA)」に分かれ、特に後者が北アイルランドでの武装闘争の主力となった。

ザ・トラブルズ(1960年代後半〜1998)

「ザ・トラブルズ」は1960年代後半から1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)に至るまで続いた一連の紛争を指す。宗派・民族対立、国家の正統性、社会的差別などが複雑に絡み、プロビジョナルIRAはイギリス軍・警察・ユニオニスト系民兵・時に民間人を標的とした攻撃を行った。一連の紛争での死者は約3,500人以上、負傷者や被災者はさらに多数に上る。1981年のハンガーストライキ(ボビー・サンズら)や、シン・フェイン(Sinn Féin)を通じた政治路線の強化などが注目を集めた。

和平プロセスとその後

1990年代に入ると、武装闘争と政治交渉の両面で変化が生じ、1994年のプロビジョナルIRA一時停戦、1998年のグッドフライデー合意を経て、政治的解決を優先する流れが主流となった。プロビジョナルIRAは最終的に武装闘争の終了と武器の段階的処分(decommissioning)を行い、多くの支持者はシン・フェインを通じて平和的・政治的手段を選ぶようになった。一方で、和平合意に反対した分派(「ディシデント・レパブリカンズ」)は武装活動を継続し、1990年代末以降もリアルIRA、コンティニュイティIRA、ニューIRA、Óglaigh na hÉireannなどと名乗るグループによる散発的な攻撃が続いた。

名称についての注意

Óglaigh na hÉireann(「アイルランドの義勇隊」)は、アイルランド語で「義勇隊」を意味し、公式にはアイルランド共和国の正規軍(Irish Defence Forces)の正式名称としても用いられている。一方で、いくつかの共和派・ディシデント組織が自らを同じ名称で呼ぶことがあり、文脈により指す主体が異なる点に注意が必要である。

現状と展望

  • 北アイルランドは現在も英国の一部であるが、グッドフライデー合意に基づく権力分担や制度で政治的安定が図られている。
  • 多くの元武装勢力や支持者は政治プロセスを通じた「統一アイルランド」をめざす立場へと変化している。一方で、少数のディシデント勢力は引き続き暴力に頼ることがあり、安全保障上の課題を残している。
  • 近年はBrexit(英国のEU離脱)が国境問題や政治的議論を再燃させ、将来の統一に関する議論や「国境投票(border poll)」の可能性が注目されている。

まとめると、IRAという名称は歴史の中で形を変えつつ用いられてきたものであり、現在では大多数の共和主義者が平和的・政治的手段を志向している一方で、少数の武装ディシデントが一定の脅威を続けている、というのが現状である。