国連ルワンダ支援団(UNAMIR)は、1993年10月に国連安全保障理事会によって創設された。設立は、ルワンダの長年の対立を終わらせるために結ばれたアルーシャ合意(Arusha Accords)に基づき、停戦と和平移行を監視することを目的としたものである。UNAMIRの当初の主な任務は、和平合意の履行状況の監視、合意に基づく軍事要員の配置や撤収の監督、政治的移行と新政府の設立支援、人道支援活動の補助などを含んでいた。
展開と人員、現場の制約
国連はUNAMIRに対して最大で約2,548人の兵力を承認したが、現地での展開は限定的かつ段階的であり、十分な装備やルールの制約、加盟国の政治的支援不足が重なった。部隊司令官はカナダ出身のロメオ・ダリレール将軍で、彼と現地部隊は早い段階から武装勢力の存在や暴力拡大の兆候を国連本部に繰り返し報告した。ダリレール司令官は1994年1月に武器庫や暗殺計画に関する警告(いわゆる「ジェノサイド・ファックス」)を本部に送ったが、限られた権限や介入許可の欠如のために十分な予防措置を取ることができなかった。
1994年ジェノサイドの発生とUNAMIRの対応
しかし、UNAMIRがルワンダに滞在していた1994年4月6日〜7日、ルワンダの大統領機が撃墜される事件を契機に、短期間で組織的な大量虐殺が勃発した。以降の約100日間で、国内外の推計により約80万人が殺害されたとされ、多数の市民が組織的に標的にされた。ジェノサイドによって約200万人が隣国に逃れ難民となり、国内でも多数が避難を余儀なくされ、女性に対する性的暴力も甚大な被害を生んだ(被害者数の推計には幅があるが、十万〜数十万規模のレイプ被害が報告されている)。
4月上旬、ベルギー軍兵士10人が殺害されたことでベルギーは部隊撤収を決定し、国際社会の支持が急速に後退した。国連安全保障理事会は1994年4月21日の決議(Resolution 912)でUNAMIRの兵力を大幅に削減し、現地部隊は約270人程度に縮小された。結果として現場での保護能力はほぼ無力化され、多くの民間人は救済を受けられなかった。
失敗の要因と後の検証
UNAMIRの失敗は、以下のような複合的な要因によって説明される:
- 当初からの限定的な任務(強制的行動を許さない厳格なルール)と短期的な権限不足。
- 主要加盟国の政治的意志・支援の欠如(増派や武器・後方支援の拒否)。
- 現地情報の評価や本部の意思決定の遅れ(現場の警告が十分に受け入れられなかった)。
- 迅速な民間人保護のための十分な兵力・装備・物流の欠如。
その後、国連や各国はルワンダでの失敗を公的に批判・反省し、独立調査や報告書で対応の不備が指摘された。国連は結果として1999年以降に行われた検証や、後の平和維持活動の見直しを通じて、より強固な民間人保護や迅速な対応の必要性を認識するに至った。
その後の処置と遺産
ジェノサイド後、国際社会は責任の追及と再発防止を目指して行動した。国連安全保障理事会は1994年11月に国際刑事裁判所の前身にあたるルワンダ国際戦犯法廷(ICTR)を設置し(Judicial process による戦犯裁判が行われ、多数の起訴・有罪判決が下された)、また国連内部でも平和維持の在り方や「民間人保護(Protection of Civilians)」の原則が大きく見直された。さらに、2005年の国連総会や加盟国による議論を通じて、国家による虐殺や重大な人権侵害に対する国際社会の介入責任を示す概念、いわゆる「責任を持つ(Responsibility to Protect:R2P)」の形成にも影響を与えた。
UNAMIR自体は1996年3月に正式に終了したが、ルワンダで起きたことは国際社会と国連にとって重い教訓となった。多国間の平和維持活動が現場で有効に機能するためには、明確で実効的な委任、迅速な意思決定、必要な兵力・装備、そして加盟国の政治的意志が不可欠であることが改めて示された。

