ユーゴスラビアは1920年に初めてオリンピックに選手を送りました。これ以前にも、クロアチア、スロベニア、ヴォイヴォディナ出身の選手のいくつかは、かつてこれらの地域が属していたオーストリアハンガリー帝国の一員として、オーストリアやハンガリーの代表チームで出場していました。さらに、セルビアからは2人の選手が1912年夏季オリンピックに出場しています。
「ユーゴスラビア」という名称は歴史の中で形を変え、オリンピックにも3つの異なる国家形態の名義で参加しました。
- ユーゴスラビア王国(主に1918年〜1941年の時期に相当)
- ユーゴスラビア連邦共和国(戦後の社会主義連邦としての時代、通称:社会主義連邦共和国)
- ユーゴスラビア連邦共和国(冷戦後に一部の領域が残った連邦の時期、1990年代〜2000年代)
歴史的に見て、ユーゴスラビア(およびその前身・後継国家)はオリンピックで多くの強豪種目を生み出しました。特に男子バスケットボール、ハンドボール、水球、サッカーなどの団体競技で高い実績を残し、個人種目でも陸上、レスリング、柔道、ボートなどでメダル獲得者を輩出しています。これらの成果は各地域の強いスポーツ文化や育成システムに支えられていました。
1990年代初頭のユーゴスラビア解体に伴い、旧連邦を構成していた共和国ごとに独立したオリンピック委員会(NOC)が設立され、順次IOCに承認されていきました。たとえば、クロアチアとスロベニアは1992年の冬季オリンピックから自国のチームを派遣するようになり、他の後継国家も時期をずらして独自参加を始めました。
1992年の国際情勢(国連の制裁など)の影響で、旧ユーゴスラビアの一部を代表する国家は一時的に国別代表としての出場が制限され、個々の選手が「独立オリンピック参加選手(IOP)」としてオリンピック旗の下で出場したケースもありました。その後、2000年代にかけて各国のNOCがIOCにより正式承認され、2008年の夏季オリンピックでは旧ユーゴスラビアに属していた6つの国すべてが自国のチームをオリンピックに派遣するに至りました。
今日、旧ユーゴスラビア地域の国々はそれぞれ別個のスポーツ振興とナショナルチーム育成を進めていますが、歴史的につながる選手育成の伝統やコーチングの流れは現在でも各国の強豪競技に影響を与え続けています。