1952年ヘルシンキ夏季オリンピック(第15回)—開催概要と歴史
1952年ヘルシンキ五輪の開催経緯・注目競技・歴史的意義を詳解。開催都市選定や戦争影響まで写真と年表で振り返る。
1952年の夏季オリンピック(正式名称:Games of the XV Olympiad)は、フィンランドのヘルシンキで開催された。
アムステルダム、アテネ、ローザンヌ、ストックホルムとアメリカの5都市を抑えて、ヘルシンキが開催都市に選ばれました。シカゴ、デトロイト、ロサンゼルス、ミネアポリス、フィラデルフィアの5都市である。ヘルシンキは、1940年の夏季オリンピックの開催が決定していたが、第二次世界大戦のため中止となった。
開催期間・参加規模
大会は1952年7月19日から8月3日まで行われ、参加国は69か国、参加選手は約4,955人(男子約4,436人、女子約519人)にのぼりました。ヘルシンキ・オリンピックは戦後復興の象徴となり、多くの国が復帰・初出場を果たしました。
主な出来事とハイライト
- ソビエト連邦の初参加:冷戦下における初の大規模な国際舞台として、ソ連が初めて参加し、メダル争いで大きな存在感を示しました。
- エミール・ザトペックの偉業:チェコスロバキアの長距離ランナー、エミール・ザトペックが5000m、10000m、マラソンの3種目で金メダルを獲得するという前人未到の快挙を成し遂げました。
- ボブ・マシアスの連覇:アメリカのボブ・マシアスが十種競技で2大会連続の金メダルを獲得しました。
- 多くの新顔と復帰:イスラエルなどが初出場し、第二次世界大戦後に復帰する国もあり、オリンピックの国際性が一層高まりました。
会場と運営
メイン会場はヘルシンキ・オリンピアスタディオン(Helsinki Olympic Stadium)で、開閉会式や陸上競技の中心として使われました。大会開催に合わせて交通インフラや宿泊施設の整備が進み、フィンランド国内のスポーツ施設・都市基盤の近代化に寄与しました。
歴史的意義と遺産
1952年ヘルシンキ大会は、戦後の国際関係が新たな局面へ移る中で行われ、スポーツを通じた国際的交流の重要性を改めて示しました。ソ連の参加は以後のオリンピックでの競技力の高まりを予告し、同大会での活躍は冷戦期のスポーツ競争の端緒となりました。また、ヘルシンキが1940年に続いて再び開催候補となり、ようやく開催を実現したことは同市とフィンランドにとって大きな名誉となりました。
大会の詳細(競技別の結果、国別メダル数、参加選手名など)は公式報告書や各種記録で確認できますが、エミール・ザトペックの三冠やソ連の初参加とその躍進など、1952年大会がオリンピック史に残したインパクトは非常に大きいものがあります。

1952年大会の開会式での各チームの様子
参加国
ヘルシンキ大会には、69カ国が選手を派遣した。
関連ページ
- IOC国別コード一覧
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